『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

 今更ですが。
 まず始めに、最終的に官憲に屈服した貴方達に代わって、取り敢えず私が。「権力のイヌがふざけるな、イヌだけに特アに喰われやがって、死ね、ボケ」。3時間に及ぶ観賞中に駐禁切られたので、バイク乗りながら全然関係ない浦和警察署の前で叫んできました。
 気付いたら3時間経っていたってところでしょうか。文字通り最後の砦となった「あさま山荘」に至るまでさまよい続けた彼等の逡巡そのまま、「次に何が起こるのだろう?」という緊張は(演じる役者、見る観客共に)ほぼ最後まで継続、めまぐるしく移り変わる場面場面飽きることありませんでした。なんというか、一つの映画の中に「伝記」と「ホラー」と「サスペンス」と「アクション」をそれぞれ怠惰・弛緩に陥れることなく同居させている感じ。「山岳ベース事件」を扱ったシーンの恐ろしさときたら下手なサイコホラーなんぞの比でない。
 若松孝二監督、「あくまでも中立の立場で」描くことを心がけたと言うが、当時世間のありとあらゆる人々からバッシングを受けたこの事件を「中立」と言う視点で描くことこそ連合赤軍側の若者に依った視点で描かれているに他ならないと思う。この時代に「何かを信じて時代に踊った」若者達がこの出来事を黒歴史として封印、「総括」の意味をはき違えたまま自らの「総括」を永久に放棄し、そのまま社会の構成員となることで現在の歪んだ社会の姿があるのだと思う。その自らの古傷をえぐり出された忌まわしき「団塊」世代の生き残り達は若松監督を作中「総括と称して自らの顔を殴らせた遠山美枝子に、腫れ上がって二目と見られなくなった自身の顔を認識させる永田洋子」と見ないだろうか。或いは永田洋子の総括要求を誰もが「ただの嫉妬」と揶揄したように若松監督からの「総括要求」をどのように揶揄して逃れようとするのか。遠山に理不尽な総括を要求する永田は今まで何もしなかった責めを我が子に負う貴方達自身です。永田による理不尽な総括要求を甘んじて受ける遠山は、あらゆる危機に際して何もせず為すがままだった貴方達自身です。
 終映後、切符貼り付けられたバイクの横で怒り狂っている私の隣で「その世代」を名乗る男性が、そのことをネタに若い子と話していた。そうですね、昔のお話なんでしょうね。