その六十 長野市松代町西条 『白鳥神社』

sans-tetes2008-05-17

 社名に「白鳥」の文字のある場合、殆どが日本武尊を祭神として奉る。松代にある白鳥神社も例に漏れない。かつては真田家の先祖の地小県郡にあったとのことで、更にルーツを辿れば尊が白鳥となって舞い降りた地に行き着くことだろう。松代初代藩主真田信之がこの地に移封された際にこの地に移されたととのこと。日本武尊と共に真田家(源氏)の祖先である貞元親王・貞保親王を合祀し、後に藩祖信之をも合祀して今に至る。以上は神社で配る御由緒にも記された神社の概要。松代散策の途中由緒その由緒ありげな由来とは関係なく近くを通りかかったため立ち寄らせていただく、と当初は本当に軽い気持ちだったんです。
 地図を頼りに大体目安を付けて一の鳥居の前まで訪れる。立派な鳥居。が、鳥居の手前に手水舎があるのと鳥居の先、参道らしくない偉く急な坂道が見えるのみで本社はおろか、神社らしき構造物は
全く見えない。よく見ると手水舎に「拝殿まで登らない方はここで御参拝下さい」と書かれた札。隣に「賽銭箱」。参拝放棄を認めながら賽銭だけは置いてけとのこの見事な投げっぷり。ちょっと「どうよ?」な対応だが、実際に本社へ参ってみると納得する。「私には、あなたを責めることなど出来ません」。ちなみに賽銭箱の近くに蜂が巣を作ってわんわん飛び交っているので近付くことができない。
 平地は慣れたもんだの関東人、参拝するのにこの参道はキツイ。おそらく、私が前に乗っていた非力なVWはこの勾配を登れない。私はこの日、登山しに来たのではなく「ただ」参拝に来ただけ、の筈。勾配キツくて頭が上がらず参道(?)の先は見えない。本当にこの先に神社があるのか不安になりながら、汗だくになってひたすら登る。
 参道の途中、熱心な参拝客の日除けとなるような大きな木はほとんどない。ようやく見えてきた木造の構造物、最後の最後でトドメの如く急となる坂道を上り、二の鳥居、鳥居の右手に神馬殿、左手に絵馬殿。鳥居のから続く急な階段の向こうに本社の御門。やっとこさ、たどり着いた門の前、が、「開かない」。なんだよここまで来て。門のすぐ向こう側に賽銭箱があり、本社に近付かなくとも賽銭は奉納はできる。門から覗く本社の様子、あちこち六文銭の紋があり立派。立派なだけに近づけないのが大変残念。
 単純に管理が大変なんでしょう。何せここに来るまでこの苦労。その上にこれだけ立派な社殿。やはり物好きな参拝客も多くはないと見えて、古く寂れた様子の神社。門前に座って今登ってきた階段を眺めると、山上のやっと葉桜になりかけた桜のから風に散らされ花びらの舞う。後から後から降り注ぐ花弁で本当に階段がピンク色に染まっていく。この時になってやっと、冷たい風が汗を拭っていくのを感じる。良い季節です。けど毎日来るのはきっと大変です。去り際、神馬殿のリアルな木造神馬が何か言いたげでした。