その六十六 ふじみ野市福岡 『大杉神社』

sans-tetes2008-06-20

 以前一瞬だけ見掛け、その雰囲気が大いに気になり、後に必死になって探したが、遂に見つからなかった川沿いの神社、意外に分かり易いところにあった。福岡橋の袂、新河岸川に面して、というか川にめり込むように鎮座するお社、初めて見た時の印象そのままに、この荒廃さ加減が実に見事な寂れっぷり。夜になると、神社の周囲に生えた木々の間から、通りがかる人の首を狩りにスリーピー・ホロウが現れるんじゃないかと思うくらいの荒れ様。
 祭神は大物主神。神社の横に行政による誰も読まない詳しい案内書きが記されている。それによると、江戸期・明治期と新河岸川の水運が盛んな頃は行き交う船の通行を祈願する神社として大層賑わったそうで、
粋な船頭が社の前を通る毎に投げ銭する様が見られ、年一回の祭りともなると芝居やら神楽やらで大いに人が集まりたいそうな賑わいだったとのこと。大正に入り鉄道が完成すると物流の中心はそちらに移り舟運は衰え、昭和に入り舟運が完全に廃止するに至り船頭という信者を失った当社も寂れていったということらしい。要するに昔はブイブイ言わせてた社の成れの果てというところ。
 さて現在の社、あちこち補強が入ってはいるモノの、壁は隙間だらけのくたびれ具合に、川からの風が容赦なく吹き込んでくる。社前の鳥居は今でもその信仰の拠り所を現すように川を向いている。が、これも大分くたびれ、一部傾き、ヒモで縛って補強する。つまりキケン。舟運の盛んな頃から時は流れ、今は再び万全を横切る道路を走る車が物流の中心。だがこの社が省みられることはなく、今後もこのまま朽ちていきそうな佇まい、嫌いではないがさすがに悲しくなる。
 実は社の中に、今でも昔ブイブイ言わせてた名残が残る。拝殿に掲げられた巨大な奉納額。社内は常にと言って良い光の入らない暗闇、その闇に隠れた額を外から仰ぎ見ると、こちらをジッと見返す二対の眼。当時この額を納めた船頭達が、よく解らないが額に天狗の面を2面、おまけに張り付けたとのこと。気付く人のどれだけいるのか、これは掛け値なしに一見の価値はあると思う。気付かれないままにただジッと社の外を見下ろす。その虚しさ加減、やはり侘びしい。風がびゅうびゅう吹きすさぶ社の前でぼーっとしていると散歩で通りがかったおばさんに「すいません、すいません」とか言って謝られる。今度は私が謝る羽目にならないよう、暗くなる前に帰る。