『休暇』

 今が旬の死神のお陰か、館内結構な人の入り。
 見合いを経て、子持ちの女性(大塚寧々)と結婚することになった刑務官の平井(小林薫)、なかなか「新しい父親」に心を開いてくれない子供との関係を悩みながら披露宴を控えたある日、勤務先の拘置所に留置されている死刑囚金田(西島秀俊)への執行命令書が届く。執行の補助を行った刑務官には特別に休日が与えられ、特に最も困難な「支え役」の係を行ったものは更に1週間の休暇が与えられる規定となっている。執行予定日の翌日は披露宴、祝い事への影響を鑑み故意に執行補助から外されていた平井は、1週間の休暇を得るために、その休暇を新しい家族との新婚旅行に当てるために、自ら「支え役」に志願する。
 テーマは「欠け換えのない何かを失うことによって、欠け換えのない新たな物を得る」。拘置〜執行と図らずもその人生の最後の部分に係わることになる刑務官は、罪を後悔し、贖罪の気持ち得、目前に迫る死を前に逍遙とした態度を見せる死刑囚に対し、しばしば人間的に尊敬の念を抱きいつしか「欠け換えのないもの」と認識するという。執行が決まった金田は、所内にいるときは日がな絵を描き、時には軽作業を行い、親族の面会に際しては静かに対応する、特に問題の起こすことのない模範的な死刑囚であった。この静かで、穏やかの様に見え、永遠に続くかとも思われる「死刑囚の非日常的な日常」を西島が非常に良く演じる。静かな生活を無表情に過ごす。まるで悟りきってしまったかのように見えて、時折見せる、悔恨か或いは死へのストレスに対する防衛機制なのか、読み取り様のない感情の変化を表情が、内に抱える諸処の葛藤を表す。周囲の刑務官は、彼を文字通り欠け換えのないものとして、その処遇に感情を反映させる者、欠け換えのないことがわかっているが故に彼の処遇を含めた仕事全般から出来るだけ距離を置こうとする者、平井の場合「欠け換えのないもの」の存在に薄々気付いていながらも、それをあえて意識の底に押し殺し、仕事と割り切ることで困難な「支え役」に徹しようとしてしている。
 そんな彼を同僚(大杉漣)は「人の命をなんだと思っている!」と非難する。その同僚自身も執行の補助役(「ボタン係」)に選ばれた一人であり、彼含め実際に執行に立ち会う役割をもつ人々、それぞれの苦悩をそれぞれに体現する「執行」のシーンは秀逸であり、「その翌日に予定されていた」披露宴での席での「立ち会い者」「非立ち会い者」のと態度の対比が良い。執行の中、自らの思いを押し殺すため、最も模範的に業務を遂行した平井の場合、その後に苛まれる凄まじい罪悪感のため、引き替えに得たはずの休暇に素直に溶け込むことが出来ない。ここまで書けばわかるようにそんな彼を救う事のできるのは。
 先に挙げたテーマと共に、この映画の重要なテーマは関わる全ての人の人生を変えてしまう恐れがある現行の死刑執行業務に対する疑義。冒頭で既に金田に対しての執行命令書に各係が捺印する場面(「命令書」に法務大臣より先に事務次官が捺印してある書類を映したのはミスだと思う。細かいけど)始まるので、作中「死刑制度」その物には全く言及する余地はない。一方で執行の前後の様子が念入りに描かれ、特に「いつも通りに絵を描いている金田に突然宣告して房から引きずり出していく」シーンから始まる執行の場面は、いわゆる「民間で知り得る執行の様子」にかなり忠実に、詳細に基づきリアルに再現されている。この場面で主役になる西島の、最前までの落ち着いた様子から一転、取り乱し、腰も立たずに引きずられて、教誨を受けて、水を飲んで、遺書を書けず、その後落下板に向かう、一連の死へ向かう様子は心に突き刺さるくらい迫力があったんだけど、一時震えが収まって普通に刑務官と口聴いてる場面があって、この部分に少し興醒めしてしまった。
 死刑制度どーとかこーとかはここでは述べる気はないけど、「国家の判断で殺される人」がいると同時に「国家の命令で殺しを請け負う人」がいるという現実は頭に置いておいて良いんじゃないか、位のことはここで言っておきましょう。