『黒猫・白猫』

 ベネチア国際映画祭で賞を取った作品。旧ユーゴの内戦と深く関連付けて語られるイメージの強いクリストリッツァの作品にしては、作中内戦の影響は全く現れない。
 主役はドナウ川の沿岸に住む祖父・父・孫のロマ一家。祖父は工場の経営者だが現在入院中。ろくでなしの小悪党だが要領が悪く他人にしょっちゅう騙されている父と、祖父思いで現在結婚適齢期(18歳、ロマの風習ではこの位らしい)の孫、気になっている酒場の娘を口説いてる最中の孫。石油と騙されてただの水を掴まされたり何をやっても冴えない父は一発逆転を狙って列車強盗を試みる。祖父の友人である「ロマのゴッドファーザー」から「オヤジが死んだ」事にして資金を調達し、更に手を組んだ悪党仲間の詐欺師の罠にはまり全財産を分捕られた挙げ句、その行き遅れの妹と息子を結婚させられる羽目になる。強引に進められる縁談に、「死ぬ魔法」を使って阻止しようとする祖父の努力も空しく、強行された式の当日、花婿同様望まない結婚をさせられる花嫁は式の途中で脱走。一方、孫に連れられ死んだ友の墓参りに向かうゴットファーザー、実はこの孫も結婚適齢期でお相手を捜している最中。ひょんな事からはぐれてしまったゴットファーザーを探すうちに孫が出会ったのは脱走・逃走中の花嫁。偶然にも双方お互いが理想とする容姿、2人は直ぐさま結婚を約束、すったもんだの末無理矢理強行された結婚は破棄、孫の方も意中の彼女と無事結婚。めでたしめでたし。タイトルの「黒猫・白猫」とは主役一家を巡る騒動の見物者であって、最後の結婚の場面で急遽立会人とさせられた飼い猫の事。
 定住しているロマ(ジプシー)コミュニティを舞台とした今作は、演者も多く実際のロマの人々を起用しているとのこと。ロマの持つ「旅人」というアイデンティーの内、その光のイメージである「脳天気さ」がかなり強調、影の部分である「放浪」のイメージは押さえられ、その独自の文化に基づいた生活の様相がやや大げさに、多用されるロマ調の音楽に乗せられ、明るくコミカルに描かれる。旧ユーゴ地域の地理について特に詳しいわけでないので、場所の設定がどこなのか家帰って調べる。国境を接するドナウ川沿い、更にブルガリア国境も近いということでセルビア共和国内の東端部。恐らくはユーゴ内戦中も戦闘とは無縁だった地域。その場所に、セルビア共和国内はおろか世界中どこに行ってもマイノリティーであるロマの人々を題材とし、その豊かで脳天気な生活を強調、更に「共産主義」「チトー」「民族紛争」「内戦」等一切の社会的背景を消し去ることによって、嘗て旧ユーゴスラビアが体現しようとした理想的多民族国家への幻影を表現しているように見える。そう言った深読みはさておいてこの作品は笑わしてなんぼのコメディー映画、設定があまりにローカルなので、かなり大げさに表現しているのか、主要人物の初登場シーン、店の外に向かって銃ぶっ放したり、エンジン付き車椅子で屋敷中暴走したり、川辺に乗り付けた船からヤクでラリッて踊りながらリムジン乗り付けたり、まるで定住しているロマがみんなキチガイに見える。私はキチガイ設定の、そのキチガイっぷりの徹底が好きなので、最後までキチガイっぷりを全開で発揮していた「詐欺師」に好感が持てた。逆にかなりのインパクトで登場した他の人物が後半尻すぼみに感じてしまって残念。一方で、セリフ・行動の端々に表れる定住してもなお重視する彼らロマの生活・伝統に大変興味。入院している爺さんにドクターストップがかかるほど生活と密接した音楽との関わり様や、旅によって達成される彼らの嫁探しとか。
 最初っから最後までドタバタの続きっ通し。そのドタバタを通じて各人がそれぞれの人生を深く自覚、成長していくという主題だと思うんですけど、そのドタバタが派手なのと地域柄、またはこの監督の描写する皮肉っぷりのインパクトが強すぎてその主題が解りにくくなってないかな?という事は感じられた。私的にはこういう内容は十分許容範囲で、特に先に述べたようなキチガイ振りとか皮肉っぷりがツボなのでそこで爆笑するところなのだが周囲の反応があまりなく、真夜中という上映時刻も相俟って「周り寝てるのかな?」とか余計な気遣いが生じてしまい、素直に爆笑できなかったのが辛かった。
 登場人物の名前を全然覚えられなかったので、この文読み返してみると何書いてあるかよくわからん。