DAVID BOWIE『FIVE YEARS』

 モードが果てしなくウツに近くて突発的な悲嘆が加わり、人生におけるマイナスの臨界点に達したような錯覚に陥ると、いろんな物事が容易に常温核融合を起こし、副産物としてしばしばこの歌が響く。
 「我々に残された時間はたったの5年間・・・出来ることなどたかが知れてる、せいぜい泣いていればよいさ」知らせに来た男はやけにクールに構えた痩せた黒人だったような気がする。「・・・地球は既に死んでいる」。
 "I had telephones,opera house,favorite melodies I sow boys,toys,electric irons and T.V`s" 終わりの日が解っていれば、その時まで何をする? 少なくともそれを知った瞬間、どのような行動を取る? 少女はより弱い者を虐待し、有色人種がそれを止める、止めた黒人は或いは軍人だったのかも知れない。壊れた銃を持つ軍人に出来ること、放心して立ち尽くすこと以外何がある? せめてその銃が粗悪なカラシニコフだったら良かったのにね。 跪いて接吻をするのは別に神職者でなくとも公務員でなくとも、彼らの持つ社会における肩書きに最早なんの意味も為さない、ので私が吐き気を催すとするとタブン他の理由。
 ・・・"I think I saw you in a ice-cream parlour"から"so I felt like an actor"のくだりは、たぶん話半分の勝手な妄想。「あのとき、彼女がせめて手で振ってくれれば」って感じで。そんな野郎に勝手に歌にされる彼女の気持ちってどうよ? あなた「アクター」にでもなったつもりなの? 
 "Your face,your race,the way that you talk I kiss you,you`re beautiful,Iwant you to walk"時に、「5年間」がこの言葉のために用意された運命と感じ、その時「私はその罪を甘んじて受けよう」、この見事な錯誤に恥ずかしくて死にたくなる。「救世主にでもなったつもり?」と。だからね、"We got five years"で良いかも知れないと。私に救世主はいりません。

 「あなた達のその顔に、あなた達のその異なる肌の色に、あなた達のその多様な言葉に、私はキスをしよう。なぜならあなた達は美しいから、あなた達に歩いて欲しいから」
 7月6日は世界チベットデーです。
(以上、歌詞の訳・解釈は文法無視した意訳。悪しからず。)