『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』

 別に今更私如きがこの映画を語る道理などないと思うので、あんまり関係ないことを書いてみる。
 楽日直前にも関わらず結構な入り。かく言う私は、終了前にどうしてもこの映画を見に行かなければいけなかった。例えあさってまでに提出しなければならないレポートが三題とも全く手を着けていなくても、毎日9時まで仕事をしても一向に終わる気配のない仕事を抱えていても、私にはどーしてもこの映画を観なければいけない理由があった。
 僕がもっと小さかった頃、夜9時になると必ず何処かしらの放送局は映画を流していた。2時間枠の中にしっかりCMを挟み込んで無理矢理短縮され、洋画においては「雰囲気を台無しにする」日本語吹き替えが入り、個性的な評論家による解説で締めくくられる。やはり、仕事が終わるかぎりぎりの状況にも関わらず、「明日ロードショーの最終日だから」と言ってさっさと仕事切り上げて、レポートのための資料にも全く目を通すことなく映画を観に行くことを取ってしまう狂った思考が培われた土壌に、「子供の頃、夜9時に、テレビを付ければなんかしらの映画が演っていた」という肥料はかなり高い栄養価を持っていたと思う。
 私は子の親になったことがないのでよくわからなく、大変個人的主義的主張に偏った意見であると自覚した上で述べるが、この狭い地球の更に限られた陸地にうじゃうじゃと溢れた人間がこれ以上子を為す理由は、最早「種の保存・維持」と言うモノなのではなく「種の更なる多様性」以外に見出すことができない。人間の持つ特徴から、人間が次代に期待する「種の多様性」は学習・経験に基づく前世代の知識の伝達をする事によりそれを元に次世代の更なる知識・行動の展開を期待することが最もその義務の執行に相応しい行為だと思う。もし将来、私が子の親になったとしても、その頃までに人を教え導く為のスキルが極端に磨かれているとはとうてい思えない。なので私が次代における種の多様性を培うために我が子に直接与えることができるのは「個人的経験に基づいたこと」のみによる知識の伝達しか為し得ない。ならば私にできることは、少なくとも私の幼少期と同程度以上のミソクソ揃った映画鑑賞の環境を与えなければならいワケで、恐らくその頃には今よりも更に衰退しているであろう「テレビで金払わないで映画を観る」環境に代わる環境を用意しなければいけないことになる。だが、もしも、その頃テレビで、夜の9時からの予定が前番組のナイター中継のせいで30分ほど開始が遅れた2時間枠のいいところでCMが挿入される登場人物がみんな日本語を話し、淀川さんも水野さんも高島さんも木村さんも誰もその作品についてその場で語ることのない映画が放送されたとき、映画解説者のようにとはいかなくても、昔その様な環境で映画好きになった老人としては、なんか説明したり話してあげたいじゃぁないですか。
 だからその時のために、その時放送される確率が高いこの『クリスタルスカルの王国』観に行った。で、どうだったかというと、「いやーやっぱり映画って」。できれば吹き替えで観たかった。
 これからもっと映画を観よう。観た映画に・・・また会う日まで。