『僕らのミライへ逆回転』

 ミシェル・ゴンドリーが映画というメディアの嘘と欺瞞を描く。ただし、映画を愛することは忘れない。
 私はパッセパークがアメリカのどこにあるかよく知らない。ついでに言えばファッツ・ウォーラーの功績もよく知らない。更に言えば本作も事前情報をほとんど仕入れることなくほぼ「ミシェル・ゴンドリー作」という銘柄のみを動機で観に行ったので、観る前は「また夢に関するお話かな?」と漠然と考えていた。確かに「夢」の話である。本作中「レム睡眠」に関するカラクリを話のスパイスとして登場させることはないが、砂嵐の向こうに永遠に飛び去ってしまった、かつてハコの中に収められた映像をあり合わせの現実の中に再現しようという試みは、昨夜見た夢を断片的な記憶の切り貼りの中に拙く再現しようとするように見える。そう、映画は夢なのだ。この「夢の再現」というマッチポンプを中心となって行うのが、その現実離れした思考がそのまま思いっきり社会不適応者なんだけど、これがヒーローの性格かな、というような変人役のジャック・ブラックの存在が「夢を造る」人の性格を体現しているようで面白い*1
 「私たちは悪者ね」。夢が利益に結びついた途端生臭い現実と直結、叩かれた挙げ句次の夢を見るのが困難になるというシチュエーションもまた夢っぽい。以降、ファッツ・ウォーラー*2の人生を「偽造」する事で*3これまた夢の続きを見るような錯覚を得ると同時に、引き続き感じるのはやはりその「手作り感」満載の作成の手法がゴンドリー監督による最近の映画への皮肉の暗喩か。一方その伝記映画の完成後、上映の段階になって今まで話題のレンタルビデオ屋のライバルとしていがみ合っていたレンタルDVD屋の主人が最新の映写機を持ち込んで上映に強力する場面をもって、その「最新の技術」が介在することでより素晴らしき映画が生まれる(「観ることができる」)ことの賛辞をも忘れてない。ありきたりな締めくくるなら、「ミシェル・ゴンドリーは自分がとにかく映画を愛してやまないことをこの映画で示した」のだ。
 そして、そんな映画を観て感動する私も映画が大好きなのだ。

*1:変わり身が早くてマジメなのかいいかげんなのかわからなくて、なんだか性格が一貫していないように見えるのもまた味なんだけど

*2:劇中「ルイ・アームストロングじゃなくてなんでファッツ・ウォーラーなんだ」という嘘臭さを指摘するモス・デフのセリフとそれに答えるダニー・グローヴァーのセリフに感動

*3:街の人々を巻き込んでファッツ・ウォーラーの人生を「演出」する様子にふと、寺山修司の「作り替えの効かない人生はない」とか「書を捨てよ、街へ出よう」とかの言葉が思い浮かんだ。全く関係ないけど