その八十三 鎌倉市大町一丁目 『妙本寺』

sans-tetes2008-10-24

 夏の盛りに鎌倉に来るのは初めてだ。そういえば、晴れた日にここに来るのは久しぶりだ。バイクで鎌倉に来るのは初めてだ。年を追う毎に、ろくでもなく歳を得る。
 さて、鎌倉は現在確認できる「武生札奉納最西端」の地である(他サイト等も参考)。いつの頃か知らないが、武生は鎌倉中を恐らく千社札を「打ち」付けるためだけに怒濤の巡礼を行ったことがあるらしく、市内の有名社寺ほとんどに武生の千社札を見ることができる。ところが不思議なことに、諸所大量の武生札を打ち付ける武生その人の姿を伝える伝説は古都の地に聞こえない。謎である。
 ここ妙本寺は数ある鎌倉市中の古刹の中で、それほど有名であるわけではない。本堂は江戸時代の創建で、古いといえば古いのだがそれでもこの地に幕府が置かれたのはそれよりも遙か数百年前のことであるからその時よりこの地に存する寺社に比べれば見劣りするかもしれない。が、この当時この地で起きた悲劇に静かに思いを馳せ(た気にな)るには、そんなに有名でないことから来るこの位の静けさで丁度良い。現に、この寺に迷い込んでくる一見の観光客は、本堂と一幡・比企一族の墓に手を合わせると、後は暑い盛りの涼を避ける以外にそれ以上の足を留める理由はないかのようにこの地を後にする。
 そういえばもう一つ、この寺には名物。この名物に当たれば訪れた客のおおよそ半数はしばし足を止めてその名物を眺める。名物は、背が灰と黒の縞・腹が白い毛の色のネコ。人に慣れたこの寺のもう一人の主は、人になれているせいか少々のことでは動じない。かといって気まぐれな観光客に媚びを売るわけでもない。多くは本堂の縁で丸まっているか、何やら興味を持った玩具と戯れている。この日も本堂の欄干の下で中途半端に体を伸ばし、何処ぞで拾ってきた蝉の抜け殻を弄んで、その姿に興味を持って近付いてくる参拝客には一瞥もしない。一度去ればこの次いつ来るかわからない参拝客なんかより己の興味を満たす空蝉の方がよっぽど重要な様子。そしていつ来てもこの態度は変わらない。が、こんな姿に人は騙される。
 千社札を奉納する際、より高いところに奉納すればそれだけ(天に近い分だけ)願いの叶う率が上がるという。広く、そのぶん当然屋根の高い本堂になるべく高く高くと多くの千社札、私はそこまで高く千社札を掲げる道具を持たず、いつも背を目一杯伸ばして手で貼る。ので、精一杯手を伸ばしたつもりだが、それでも多く札の貼られた層から一段下がって武生初め他から離れて一枚奉納。上にこれだけ多くの札があればとても私の願いは叶うまい、ここでも格差。叶うまいが、下界から眺めればこの札が一番目立つ。大変不本意だが、或いは事を成すなら他と異なる事をするようにとの戒めに見えなくもない。最も群れを離れることで他に先んじて排除される恐れも否めない。