その八十五 鎌倉市極楽寺二丁目 『導地蔵』

sans-tetes2008-11-15

 寺社の多さはこの地ではもはや自慢でない。そんな地においては寺社への崇敬は自然の内に心の棲みこむモノか、ここ極楽寺前、導地蔵を納めたお堂では、崇敬転じて親愛の情に溢れる人々の姿。昼ともなれば近くの現場の作業員が昼寝をする、学校の下校途中の生徒達の溜まり場となる、かく言う私もこの地で雨に降られることあれば軒下を借りること度々、大変重宝する良い場所にこのお堂は建つ。私は住民ではないが。
 鎌倉を訪れた際、目的があろうとなかろうと、このお堂の前を通らないことはまずない。それ故いつでも千社札を納めることのできる気安さ、本来この日はお参りのみで通り過ぎるつもりであった。お堂前で手を合わせる、ふと首を上げるといつもの武生札、この地に武生の訪れるは既に確認済みのことなので特に驚く程の事ではないが、ふとその武生札の隣に見たことないが、何となく見慣れたような色つきの千社札。武生に寄り添って「散達 H岩」の文字。知る人ぞ知る初めて眺めるああこれが。どうやら並大抵の気安さでない様子に素通りする気の失せる。
 地蔵堂の戸、休日以外は閉じられ中の様子は投銭の為の小さな穴を通してしか見られない。穴に顔を近づけると、通気のない室内の蟠った熱気が当たる。熱気の向こうに少し前屈みの地蔵様。なかなか屈強で野趣を帯びた表情に、縁起に何ら関係するところのない文覚上人の姿を彷彿。縁起を示す但し書きは見当たらず、調べれば容易に解りそうな縁起を敢えて調べざることを却って趣とす。今より私の中で、この地蔵は文覚を模したモノである。
 安置するのが文覚であるのなら、この地に多く人の導き寄せる理由もよく解る。そうこうしている内に下校途中のガキ共、お堂の脇にわらわら集まりDSに興じる。そう言えばお地蔵様は子供の守り尊である。このお堂、極楽寺の住宅地と長谷側の切り通し、稲村ヶ崎からの浜三ヶ所からの坂の天辺に位置、確かに人を集めるに御都合はこの上なく良い。自然に人を集める導の文字、お近くを通りの際は間違いなく諸人足を休める。ただし、先に居る住民には気を遣って。