「船の科学館」その二

 「その一」のまんまほったらかしだったシリーズ第2弾。こっちの方が印象深いことだらけだったので、時間は大分あきましたがよろしくお付き添いの程を。

 さて、四方を囲まれる限り、日本国は海洋国であること変わりはない。嘗て信じられた無限の海原への夢とその残照はを語ろうともそう簡単には終わらない。語られることなく語るに今や遅しと語られることを待つ、語られるべき知識と経験と記憶の数々、それらを少しでも多く語ることにこそ「船の科学館」の持つ意義がある。この知識・経験・記憶を出来るだけ後生に伝えるため、「船の科学館」の役割は終わらない。第二部ではその役割に忠実に、館内に留まらず館外にまで広げて弛まない啓蒙を進める「船の科学館」の展示をレポート。
 いきなりちょっと感心したのは「戦艦『陸奥』の主砲」の説明。「陸奥」が船の科学館本館の建物とほぼ同等の大きさ(=「大和」「武蔵」「信濃」はもっとデカイ)であることも驚いたモノの、その幇間艦砲の射程距離の説明・・・「東京から撃つと戸塚まで届く」という説明が物凄く解りやすいのと同時にその物騒さが的確に伝わり、更に「砲科は理系」という言葉も的確にイメージ、それらを瞬時に理解可能なこの説明に物凄く感心。
 他に印象ある館外展示物といえば「海底ハウス歩(あゆみ)一号」。なかなか歪な外観に似合わず、中は快適のよう。なぜなら説明書きにあるように、
大の大人7人が発狂せずに年単位で生活するのだから快適でないはずがない。こんな場所でも炬燵があるのは和みの証拠、おこたはやはり日本人の心である。それにしてもこの説明書きは良い。「援助の手をさしのべ」なんて、さしのべた人がよほど偉くないと言える言葉ではない。その偉い人はハウスの中で延々と電話中。
因みにこっちの人形はあっちのより似ていてより親しみが持てる。
 ここで気付く、実は館外展示物、その目玉は展示物の在りし日の姿を再現しようとリアリズムを徹底的に追及しようと置かれた人形の数々である。
少し、その鑑賞の照準を定めたところで、次に館外最大級の屋外展示物、南極観測船「宗谷」と青函連絡船「羊蹄丸」に行ってみよう。
 まず「宗谷」。所謂南極観測船の、初代就航鑑である。南極観測船は一時小泉改革のあおりを受けて計画そのものが頓挫しそうになった挙げ句、やっとの事で着工にこぎ着けた四代目の「二代目しらせ」を現在建造中。先頃退役した「(初代)しらせ」は初代観測船「宗谷」や二代「ふじ」とは異なり退役後の保存先を見つけることが出来ずに解体処理とされる予定とのこと。「篤志家」という言葉の耐えて久しく、世知辛い世相とは言え情けないことこの上なく、この場に「そうや」が保存されていること自体が嘗ての日本の栄光を物語るパラドックスと化しているようである。その肝心の船の中身、きちんと保存してあるだけあって、変に船内を歩きやすく改造したりはせず、「実用本位」の作業船のそのままの姿を、無骨な鉄骨に頭をぶつけないよう注意しながら眺めることが出来る。そして、目玉の人形配置も忘れない。犬小屋と称して何故か廊下に直にエサ皿が置いてあるのは置いておいて
なかなか快適に出来ていることを示すリラックスする場面もあれば

かなりの苦難を伴う航海を表した場面。

どう考えても首筋のネコが解らない、これじゃあまるで上野公園の・・・。人形のない部屋では、机とか壁とかに、元乗組員のモノと思われる「ありがとう宗谷」とか「忘れない」とか、なかなか感情に訴える遺物が残され、これはこれで結構よい。
 そして遂に「羊蹄丸」。この船は青函連絡船終航まで使われた栄誉ある船で、終役後、艦内を「青函連絡船の栄華」を後の世に伝えるための一大パビリオンとして改装され、ここ東京湾で余生を過ごす。果たしてどのような? 順路を追って見学すれば、まずこの船の船長とおぼしき指先の血色が異様に悪いこのじじぃが偉そうにご託付きでお出迎え。背景、同一人物と思われるイラストとのギャップが正直気持ち悪いのでスルーしたが、
ほぼ一日中喋りっぱなしは人形といえどもつらくもあろう。その先、値は急に暗くなり、各種子供向けの遊具が並ぶエリアを過ぎてその先に遂に現れたのは本日最大のメインイベント。その前に、船内*1壁の丸い船窓から見える景色、ゆっくりゆっくり動いている。どうやら実際に動いている船から撮影した船窓を流しているらしく、北海道出身の友人曰く、函館湾に入ろうとする時の景色だという。それがゆっくりゆっくり流れる。感心して眺めていると、やはり私の「ずれた凝り性」をよく知るその友人がヘタしたらこのまま4時間*2ずーっと見かねないと察したのか先を急ぐようにせかす。その階から下に映画上映のホールがあり、『青函連絡船〜栄光の航跡〜』という上映時間2時間の映画が流されている様子。このままほっとくと2時間付き合わされかねないと危機を感じたのか、友人は「まさか観ないよね?」と釘を差す。そこまで勝手じゃないからご安心を。映画はちゃんと、今度一人で見に来て出来たら感想挙げますから。因みに、この2時間のトリップを体験しようという強者、その時間には誰もいませんでした。
 国井雅比古の力強いナレーションが虚しく響く映画館と反対方向から、意味不明の言葉が乱反射の如くこだまする。『船の科学館』最後にして最強の展示物がここに登場する。これは、昭和三十年代の青森の市場である。「何をして、企画者と作者をここまで走らせたか?」と言わんばかりの出来具合に、友人共々爆笑を通り越して恐怖にさいなまれる*3気持ちはわからんでもないが、この執拗なやりすぎ感は、夢見が悪くなること確実。 


放心したまま市場を抜ける現代の旅人の心の透き間を突くように彼らは次々に言葉を発し、その言葉に対して殆ど独り言のように自今完結してまた口を噤む。言葉だけでなく、言葉にあわせて時々動く。それも、殆ど見ている者がいないであろうモノまで、これは無駄と言って良いほどの動きを見せる。掛け声を上げるおばちゃんに、本来上昇するはずの蒸籠の湯気まで再現しようとして再現した煙がドライアイス由来なもんだから煙がひたすら下降する饅頭売りに、店屋の奥で猫股の如く風呂敷を被ってごそごそ動き回る黒猫に、どう返答してよいか解らない。仕方がないので、『また逢う日まで』の久我美子に見とれることにする。
↑これはゴジラだけど。
 隔壁の向こうに、もう一つの世界が広がる。今度は「青森駅構内」。
↑一部本物です。「テツ」としてはなかなか興味深い風景が広がる。が、やはりそこにはその場所に即した住人が当然の如く闊歩。やはり順々に何かを叫ぶ。もはや何が起きているのか解らない。

↑こんなところにいたポール牧さん。

↑これはひどすぎ・・・。
 駅の向こうに、桟橋と船のデッキ。その中に・・・ホーム?
 配置の順番としては狂っているがこれは連絡船内の貨車用線路を利用して車両を配置しているためで、うまく考えてはいるが、この中に脈絡なくこんな酒場が 
仕切もなく、ホームの真ん中に突然現れるので、まるでアルコール依存症者の生んだ幻覚みたいだ。
客車の手前に客船の席がありオヤジが寝てるこれもシュール

麻痺した頭で彼らを見たら、もはやどう見ても救助を求める人にしか見えない何故わざわざ眼帯を・・・。
 人にとって「過去」はいろいろ。当然この場所を造ることに支援した人々はこの場所を「永遠に記憶に留めよう」との強い思いを持ってのこと十分解る。実際に、もはや記憶にも留めず消えてしまった景色の方が殆どを占める中、「青函連絡船」という特殊な、格好な材料を持つことでこのように記憶に物理的に記憶に留めることを「強制する」施設を持ったことは幸いなのかも知れない。その思いの強制加減を示す格好の題材がこれ
「出来ますか!!」因みに私には背負えんかった。その記憶を残し思いを大切にする人々が途絶えたとき、もはや奇妙な異空間でしかないこの場所がどのような運命を辿るか、それはそれでまた観てみたいとは思ったりする。

*1:一応、現在「羊蹄丸」の中にいます

*2:青函連絡船の航海時間は約4時間

*3:「トタン屋根から下がる氷柱は錆を含んで薄く茶色を纏う」雪国出身の友人だから解るこのリアリズムに度肝を抜かされていた