『いのちの戦場 -アルジェリア1959-』

 暫定的に住処を閉め出されたが、泊めてもらうのを頼める友達もいなく、さてどうしよう。そんな時はやはり映画のオールナイト上映。映画が好きで良かったね。
 さて、もう十年以上前のこと、初めて『シェルブールの雨傘』を観賞、それ以来気になることが一点。徴兵されたギィがそのまま「戦地へ行って音信不通」になった当時フランスが戦っていた「戦地」ってどこ? 色々調べて(と言ってもググれば一発)この映画で描かれている戦場がそうだと知り、そっちの意味でも大いに興味。
 で、まずはそっちの意味での感想。「ギィがあの戦場からようやく帰って、すると既にジェヌビエーブいなくて、彼の心の荒み具合があの程度で済んで良かったね」。
 さて、『いのちの戦場 -アルジェリア1959-』で描かれる「アルジェリア戦争」とは、フランス側の動機の不純さや現地で行った蛮行に対する国際的非難、何より当事者のフランスが「『戦争』としての事実を1999年まで認めず『国内問題』として公式に黒歴史認定していた」、アメリカで言うベトナム、ロシアで言うアフガンに匹敵する国家的トラウマをフランスに植え付けた曰く付きの戦争で、単に植民地対宗主国独立戦争というだけに留まらない複雑な背景を持つとのこと。物語はアルジェリア山岳部にて土地勘を生かしたゲリラ戦術で神出鬼没の動きを見せるアルジェリア民族解放戦線(FLN)側ゲリラ「フェラバ」に対し近代的物量戦術によって彼等の殲滅目指すフランス正規軍が戦火を交える戦場、ここに新任の将校として派遣されるがこの戦争の大義に疑義を持ち「フランスは間違っている」と公言するテリアン中尉(ブノワ・マジメル)と、既に歴戦の勇士として長く戦場に在り、それ故に「大義」と言う言葉だけでは量りきれない残酷な戦争の現実を知るドニャック軍曹(アルベール・デュポンテル)の2人を軸に、人間の理性・理想という崇高な感情が「自身と仲間の命」を守るため「命令と人殺し」に徹しなければならない戦場において脆く変質していく様、そして「大義」と「変容した自己」の狭間に立たせられた結果彼等がどのような運命を辿っていたのかを描く。
 初登場時、理想を語るテリアン中尉、その表情に曇りがない分その彼が突きつけられる「現実」に苦悩し疲弊し、結果訪れる変化、その表情の移り変わりが素晴らしい。だが、その表情を引き出すのはこの戦場において行われるベトナム顔負けの狂気の連鎖。岩山にへばりついて攻撃する敵兵を一瞬のうちに黒焦げにしてしまうナパーム弾に対しての報復はナイフで切り刻まれた友軍の兵士、目を背ける事が出来ない現実の中で、「あの」理想主義者が遂に陥る狂喜として捕虜を虐待する姿に大変な戦慄を覚える。彼自身はその姿に気付いていて、それを現すシーン*1はこの映画の中で唯一ほのぼのとしているシーンなだけに凄く悲しい。現在の自分を正しく自覚している彼は正しく狂っていると言える。
 対して、理想主義者テリアン中尉に戦場と言う現実の中で強い影響を与えるドニャック軍曹。冷静に現実を見つめているようで密かに彼に忍び寄る狂気。彼の箍が外れたのは、処刑するはずのかつてフランスを祖国とする戦友だった捕虜が、「国からもらった勲章」を持っていたこと、彼を見逃そうとしたにも関わらすやはり彼のかつての戦友によってその捕虜が殺された、そのシーン。この、「アルジェリア戦争」における複雑な背景と大義の無さを見事に集約した場面は名場面だと思う。崩壊しかけた自我を必死で保つため、かくて彼は夜な夜なラッパを吹く。
 敵も味方も、それ以外も、この映画ではとにかく人が死ぬ。リアルに、残酷に。「良い終わり」としての物語の出口がどんどん遠ざかり、観ているこっちが「まだ続く」ことに辟易しかけた頃、対照的な2人の男に劇的な別れが訪れ物語は終了する。ドニャック軍曹が「奴はここで死んで幸運だった」と評するテリアン中尉の最期のシーン、私は一瞬『フルメタル・ジャケット』の最後のシーンを連想。ただし、その意図するところは正反対。この「フランスにおけるベトナム戦争」の最後のシーンに件の名作を意図させるシーンがあるのは偶然なのかもしれない。なぜなら第二次大戦以降に起きた数多の戦争の多くが不条理な理由で行われているからであり、その意味で似通った2つの戦争を描いた映画同士に似通った場面があっても決して不思議ではない。いずれにせよ、ギィがこの戦争から、五体と精神無事満足でシェルブールの港町に戻ってこれたことが大変な幸運であったことよく解った。

*1:休暇を得て訪れた自らの家の前、子供の姿を確認するのみで遂に門をくぐらない