『ウォッチメン』

 ・・・暗いな。映画が、ではなく、このように暗いヒーロー達が活躍する映画の虜になってしまう自分、が。
 謎の刺客によるコメディアンの無残な死から始まりロールシャッハの体が雪上に非対称の「人間の汁」を残して地上から消え去るまで、暗く、陰惨な印象を最後まで拭い去る事が出来ない。これは、劇中登場するアクションシーンのほぼ全て、単純にして明快な正義の動機による裏付けを認められず、この作品が強く主張する「人間は決してわかり合えない」、その事実を肯定しうる言わば根拠の一つとして「ヒーロー」と呼ばれる人々による凄惨な暴力の描写=アクションシーンを効果的に利用しているからだろうか。「アクション映画」の定義を知らないし、そのアクションの意義を善悪で量る事に意義がある事かどうかよく判らない。が、もしもこのカテゴリーに属する映画の主人公の行動に少なくとも善としての思想を持たせる必要があるのなら、この作品はアクション映画の範疇には入らない。
 アクションのカテゴリーから外れれば残るのは「ヒーローモノ」というカテゴリーであって、その映画のタイトルからしてそのカテゴリーに含む事に異論はないと思う。ただ、そのヒーローの行いたるや、67歳のジジイを高層マンションから投げ捨てる、大統領の命令で盗聴器設置事件をもみ消す、多数のベトコンを物理的に蒸発させる、仲間の一人をレイプしようとする、戦地を引き揚げるに当たって妊娠している現地妻を射殺する、幼女誘拐殺人犯の頭をナタで何度も叩き割る、「数億の命を救うため」に「数百万の命を奪う」・・・さすがに「テンガロンハットを被り正義感溢る陽気な無骨漢」がアメリカのヒーローだとは言わないが*1、この作品の「ヒーローの行い」のせいで「ヒーローモノ」というカテゴリーに含める前に「ヒーロー」という言葉の意味を再考しなければいけないようで、その作業を放棄するというのなら、この作品が含まれるカテゴリーは「オカシな人々モノ」というのが一番近そうだ*2。勿論この中の「オカシな人々」という中に、恐らくはコメディアンに「バッヂマン」になる事を命じた人物であろうリチャード・ニクソンも含まれる。3期一人の大統領を出した共和党から後継大統領に立候補するレーガンも恐らくそのお仲間だろう*3
 「冗談」。いずれもしっくり来ないこの映画へのカテゴリー付けは、「冗談」という事にするのが一番無難。その言葉は映画の中でも何度も述べられる。そもそも作中でこの「冗談」という言葉を口にしたコメディアンは一番最初に命を落とす。この、「アメリカという国のために陰謀・戦争の手先となって人殺しも厭わない信心深き神の僕」はヒーロー達の中でもっとも「アメリカ人」のイメージと重なる。彼が帝国主義を信奉するオジマンディアスによって「消された」事は、現実とは異なる世界の始まり=「冗談の始まり」と同時に「アメリカの死」を表しているようにも見える*4。いずれにせよ、作中で起きたあらゆる出来事に対して、心を痛めながらも「冗談」で済ましてしまったヒーロー達のセンスは凄い。そのセンスに昂然と背を向けたからこそロールシャッハの格好良さがまた光るわけだだが*5。いずれにせよ、ただの人間が「ヒーロー」になる事は物凄い種々の意味で物凄い負担である事はよく判る。この映画でその事実に言及する言葉は出てこないが、少なくとも精神病院に入らなくて済んでいる彼らがいかに凄いかという事はよく判る。この作品では明確にヒーローを否定しているわけではないので、必ずしも当てはまるとは言えないのだが、描き出される「ヒーローの大変さ」をそのまま受け取り言葉を言い換えればこうも言えると思う。「誰でも『ヒーロー』なり得る事を説く『アメリカンドリーム』を信じるな」。このメッセージを持って今の時期にこの映画が登場したのだとすれば、それはある意味奇跡である。
 暗いな・・・。

*1:映画の最後にそのようなヒーローが許容されていた時代に俳優を演じたロナルド・レーガンの名前が嘲笑と共に登場するのは全くの偶然だろうが面白い 彼の映画見た事無いのでよう知らんけど

*2:もっとも私個人としてはそんな「ヒーロー」は全然アリなのだが

*3:「まるでリベラリストのような物言いだ!」

*4:もっとも「ニクソンが三選」という時点でアメリカは死んでると言えるけどね。良くできた冗談とは思うけど

*5:また一方で、仲間とさえ妥協できない社会不適応者振りが悲しすぎる