拾遺 ゆるゆる佐和山彦根の裏側 〜佐和山遊園→佐和山城址〜


 突然ですが、ここ佐和山遊園はいつも通り本日もお休み、けど入り口は開いているので勝手に入って下さい状態。恐る恐る建物の写真を撮る観光者を後目にここのオーナーらしき老人が今日もせっせといつ果てるとも知れない作業に勤しんでおります。ここはそんな老人のささやかな寓居です。「寓居」というのがかっこいい。ただし寓居とするには結構な規模。佐和山城址の麓「彦根歴史公園」「佐和山歴史館」「佐和山美術館」と全て寓居の老人が一人で造った石田三成佐和山を讃える夢の跡、彦根といえばもはやすっかり全国区のひこにゃんも要する国宝・彦根城を後目に、ここにしまさこにゃん・いしだみつにゃんの訪れる時が来るのでしょうか?
 彦根市内で、佐和山城がどこにあるのかは大変わかりにくいのですが、ここ佐和山遊園なら国道8号を北に向かうとイヤでも目に付きますのですぐわかります。ちなみに佐和山城址は国道を挟んで向かいです。徒歩ならパチンコマルハンの裏口を抜けて頭上に本物の墓地を見ながらその墓石がなんかの像に変わってすぐです。自動車なら国道と「佐和山歴史館」に面した駐車場に停めることが出来ます。

 「歴史館」は年中お休みです。入り口も年中工事中です。埃にまみれたガラス張りの入り口の向こうに陳列物らしきモノが見えますが「歴史館」としてのコンセプトがいまいち掴みかね、夜とかは正直怖そうです。その怖さを関係がちょっとマンネリ化してしまったカップルは楽しむのでしょう、歴史館の前には沢山の使用済みコンドームがぶん投げられてあります。このことからここは彦根ではおしゃれなデートスポットとして認知されているようです。ったく滋賀のDQNが。
 
 歴史館は置いておいて、ざっと周囲を見回しますと一応は和風の寺社のような建築物で建物は統一されているようです。まずは一番目立つ金ピカの某金閣寺に酷似した建物へ向かうことにします。

 すると第一に現れるのが「山門」。一番初めに参拝者が出会う建物だけあって、趣向を凝らした、作者の並々ならぬキアイが伺えます。まず、両脇の金剛力士像その他門番の像、ここで不信心者は思わずこの像に恐れをなすのです。この像の身の細さは興福寺の阿修羅像を思い浮かべます。裏側の神像はまだ首の座らない赤子のように不格好の頭が良いですね。

 黄金の獅子とマトモそうに見える彩色画をくぐり抜けると、そこは如来像が出迎える極楽浄土の世界

 ただ何故か門を離れるにつれ如来像だんだんと斜めにリクライニングしていきます

 如来像の向かいには「佐和山美術館」と何故かバイオリンを弾く黄金の少女。

 この少女だけこの場所のコンセプトに合わず、周囲一体と比べて恐ろしく浮いているこの場所で更に激しく浮いています。
 
 美術館も本日お休みのようでして扉は開きませんが、裏側がガラス張りになっているので中の様子は伺えます。どうも、周囲の像と同じ作者が造ったモノが展示されているようです。
大きい声では言えませんが、ここまで手前味噌なのは泥棒並に太い。

 美術館の先、周囲とは少し離れてある建物が鐘楼です。
この鐘楼の入り口が格好良すぎます。
更にこの鐘楼の一階は作業場として機能、一寸たりともムダを省く

 
 一帯の最上部にある金閣寺様ピカピカの建物もこの由緒ある作業場で作られたであろうか、その建物はその名を「瑞岳寺」と言う。かつて石田三成佐和山城主であった頃、一族の菩提を弔うために佐和山城近くに建てられたのが「瑞岳寺」とのこと。関ヶ原の合戦後勢いに乗った東軍の軍勢は佐和山城下に殺到、戦火により城と共に瑞岳寺も灰燼に帰したとのこと。おそらく「佐和山三成顕彰会」はその財団のポリシーに則りかつて石田三成によって作られた寺の偉容を再現すべくこの建物を「瑞岳寺」と名付けたこと容易に想像できる。ただし、おそらく、確実に、間違っても石田三成はこんな金ピカのお寺は建てなかったと思う。「瑞岳寺本殿」の文字が刻まれた石碑はいつの頃からか逆さにぶっ倒されたままになっている。

 それはさておき、「瑞岳寺本殿」の様子をリポート。本物の金閣寺と同様に内部は幾層かの作りになっている様子だがうかがい知れず。一階は仏殿。ここに三体の仏・神像が並ぶ。もう一体置くつもりのスペースも設けられているが、何もなし。
 良くわからないけど何となく印が変。だがそれよりも眼光が変。


 先ほどの金剛力士に通じる線の細い毘沙門天(?)。カクカクした動きを忠実に模倣。

 その足下に横たわる邪鬼は踏まれてかなり長い歳月の過ぎた名残か二体融合。決して面倒だったわけではなく、その証拠にこの後長崎でこいつらが店先で売られているのを発見↓

 そしてこの瑞岳寺、形を模したと思しき金閣寺を忠実に再現した部分を発見

 「金閣寺を燃やさねばならぬ・・・」
 「いや、もうめんどくさいからどうでもいいや」
 
 これだけ多くの建物を一人で作り上げるのは大変だったのでしょう。その点には敬意を払うことを忘れず、本殿前から山門横まで物凄い角度の坂を下りてこちら側の散策を終わる。


 佐和山遊園は大きく2エリアに分けられていて、今まで歩いたのは向かって右側、主に寺院様のコンセプトで建てられた建築物の多いエリア。向かって左側は「佐和山城」を中心に主に中世城郭の雰囲気をモチーフとして作られたエリア。こちら側の建物もなかなかの力作。

 ところで「伝」って誰がだよ・・・。

 こちら側入り口の山門、実際に人が通るところはどういうワケか「回転扉」をくぐっていかなければ行けない。当然の如く何のメンテナンスもされていない鉄製の回転扉は鉄骨むき出しのままガビガビに錆びてほんの少しの回転もままならない。無理にくぐり抜けようとすると鉄骨の間に挟まり出られなくなること必至。おそらくそのまま鉄骨は犠牲者の肉を食い破り流れ出る血を絞り出し、その生命力を宿した深紅の液体を女主人に供じる、まるで「鋼鉄の処女」を想像させる回転扉。
しねぇよ。
 しかしその山門の横の謎の剣(?)はやはり一抹の物騒さを安易に呼び起こし、恐ろしい。

 老朽化して倒れたら本気で恐ろしい。
 
 いよいよ内部に。ちなみに先ほどの「山門(回転扉)」と「島左近門」は別。後者を潜ると一面草ぼうぼうの斜面。そのまま上った先、いよいよ草木が生い茂り少しばかり自然に帰ってるアタリにある、遊園のシンボルの一つ「佐和山観音」

 ここは素直に手を合わせよう。手前には祭壇とちゃんと石田氏家紋の九曜紋の施された賽銭箱。けど落ちた九曜の星がぶん投げられていて賽銭する気失せる。

 この祭壇からこのエリアのメイン「佐和山城」までは今まで登ってきた斜面をわざわざ登らなくてもよいようにコンクリート製の渡りが付いて段差もなく人に優しい。

 が、やはりメンテナンスの一切されていない個人が作ったコンクリの建造物、この渡りはこの遊園で一番のリアル恐怖を味わう施設。

 ようよう苦労の末(ウソ)辿り着いた「佐和山城」。立派です。これは素直な感想です。

 中身はこうです。夢の跡・・・と言うか未だ始まってもいない。
 
 城裏には無駄に跳ねてる馬と九曜紋。石田家にちなんで九曜紋は大変多いが、有名な「大一大万大吉」の紋は全くなし。めんどくさい?

 この立てかけられた九曜紋の先は急な傾斜になっていて、傾斜の先の行き止まりに

 チャクモール? いえいえ、ただのベンチです。ここからは藪に遮られた中途半端な彦根の街並みを望むことが出来ます。ただしハチも飛んできます。マムシも怖いです。
 ここから斜面に沿って段々に並ぶ展示ケース。どれもガラスが入っておらず使われた形跡はなく、ただもうシュールとしか・・・。

 もはやなんのこっちゃ全くわかりません

 横から見た「佐和山城」。馬に乗るのは三成公。勇壮です。

 一方三成公の足下。建物内は悉くやりっぱなしで放置。毛布が掛けられ完成間近のようにも見えないこともないが、その結果何が出来るのか、容易に予想できそうだが、あえて触れない。

 三成公の目の前にこんな碑が。

 制作者の意図するところ、たぶんこの場所を一番に神聖視。ここは素直に合掌。
 話はトぶが、石碑と言えば入り口近くに立てられた石碑

 私は未だかつて「建立者」と「寄付者」が同期しているのを見たことがない。鑑みればこの石碑の意味するところはこうである。「俺が好き勝手にやっているんだ。部外者がガタガタ言うな。」格好良すぎる。ああ、なんてアナーキー。けど毎日遊んで(建設して)暮らすことの出来る制作者はたぶんブルジョア

 建立者兼寄付者除管理者は、見学者の存在など気にも留めず今日も今日とて制作に励む。

 寓居と呼ぶには立派すぎる 
 
 それにしても、碑を前にしっかりカメラ構えてる私もかなりの大バカだ。
 
 さあ、三成公の霊を慰めて後、未だ乾かぬ涙を振るってその先の階段を下りれば

 回転扉が固まって出入りできない出入り口が現れ唐突にゴール。「梅園」はちゃんと伸びっぱなしの梅の木が一本存して言葉に偽りナシ。この場所での存在に、意味と価値を見出すことに苦労しそうな仏様については、この際無視することにする。

 「いかがでしたか?」とは素直に問えない不全感が、この後私を国道挟んで入り口を開く本物の佐和山城跡へと向かわせる。 

 私有地(お寺の持ち物)の佐和山(城趾)は遊歩道など無きに等しく、途中の史跡案内も殆どが朽ち果てている。石田三成を顕彰する上でこの事実は確かに悲しくもある。

 でその結果がこれ(山麓から佐和山遊園を望む)

 微妙とか言わない。参考までに、山中はサルとスズメバチ要注意を。

 そして頂上の城趾

 ここからは彦根の街並みが見えてなかなかの景色

人もいないのでここに至まで流れた汗が心地よく、と眼下に彦根城を望むに当たって唐突にこの地に来た理由を思い出す。
いや、こっちじゃなくて
 少なくとも、佐和山城趾に「いしだみつにゃん」はいなかった。ああなんと言うことだ。こうなれば、あの白い城に巣食う全国レベルの知名度を持つに至ったあのにゃんに一矢報いて・・・

待っておれ!今参上するぞ! の結果→http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20090521

 ついで 国宝からの眺め
佐和山

例の

国宝 見るべきは石垣です