その百四 新宿区北新宿3丁目 『鎧神社内 稲荷神社』


 訪問理由は当然の如く「将門由来」ということで。本殿初め確かに立派な神社なのですが本社は千社札禁止っぽいので代わりの社を探す。順当に行けば(?)並んで建っている天神社が無難そうだがそこは私、本社の斜め裏にお稲荷さんを目敏く発見、そちらに決定。ちなみに天神社の狛犬は都文化財だけあって歪に可愛い。ついでに鎧神社の狛犬は立派で景気良さそう。そして稲荷社の狛狐はくるりと曲げた尾がカワイイ。
 平将門の鎧を埋めたから鎧神社とも言われる当社、江戸の頃のマサカドファンの崇敬は今でも十分、地域の鎮守としての役割も十分でトナリに幼稚園なんかあったりする。その名も「よろい幼稚園」もしも私がこの幼稚園の出身だったら頼まれもしないのに履歴書に書いてしまいそうなお名前「よろい幼稚園」。みんな、立派な大人になぁれ! 境内は巨大な銀杏だらけこの日(平成20年12月)はもうあちこち山盛りの銀杏の葉、掃いても掃いてもキリがない日本の風情は大量のゴミ袋に変じる。もう少ししたら今度は大量の銀杏が落下、駐車中の車とトタン屋根をガンガン鳴らすギンナンバクダンの真の威力は踏むと家まで付いてくるコエだめのニオイ。
 稲荷社は他に2柱の神さんと共にお奉り、三峯社と子権現共に並ぶ。三神名の書かれた板があるがもう掠れて読めやしねぇ。三社のうちお稲荷三はやはり眷属多い関係上見た目もニギヤカ。もはや眷属? という存在感の武生札も。いかに武生といえども本社にゲリラは憚られたのだろう、私は武生札と対の位置、ひっそりとした三峯さんに近い方に奉納。「エライですね」近所の方とおぼしきおばちゃんに声をかけられる。そーか、ボクはエラかったんだ、新宿・中野境界近く午前6時。

 追記
 以前千社札を納めた大久保駅近くの『金塚地蔵』が地域の再開発のため撤去されて後、落ち着き先が見つかるまで鎧神社内に仮住まいしているとのことです。その事を知って再度訪問したのですが境内のどこにあるのか、お会いすることは叶いませんでした。この金塚地蔵さんは昔大久保落合近辺にあった古墳の上に奉られていたのを宅地造成で古墳を削った際に大久保駅近くの故地に移されたそうです。今回再度の移転となるわけですが、落ち着き場所がどこになるのかまだ決まってないようです。私は近くの住民というわけではないのでここまで記すことに留めます。