福井晴敏『機動戦士ガンダムUC』

 上の記事があまりに手抜きなので、全巻読破したことだし。
 
 「可能性」と言う名の光を得るために、彼らは戦い続ける。そもそも彼らが戦い続けるきっけとなった出来事から、ついにはガンダムそのものを「可能性の獣」として規定してしまった本作は、もはや『機動戦士ガンダム』としての集大成としてしまってよい? 一方で「宇宙」→「地球」→「宇宙」といった舞台の変遷、覚醒後の可能性の象徴としてのニュータイプ同士の交感、未来への信奉と過去への執着という相容れない価値観を持つ世代間闘争、最後は可能性を見いだす事で終わりながらもそれに絶対的力を与えることなく一方ではまた同じ悲劇を繰り返すことになるかも知れない負の可能性も臭わせている点、など、大変オーソドックスに歴代ガンダムの流れに従順といってよい。だからこそ、我々はまたガンダムという魔物に騙されてしまう。そして騙されることに感謝する。

 以下、ガンダムシリーズの魅力である興味深い人々が本作品でも核を為して彩られていたことを賛じて、気になった人物についての適当な感想。



 バナージ・リンクス
 主人公なのでいっぱいありすぎるので一番気になったことだけ。
 今後のミネバ「姫」との関係はなんかいろんな意味でむちゃくちゃ大変そーだな、と。

 マリーダ・クルス
 シリーズ中大抵が悲惨な人生を強いられる強化人間の中でもトップクラスに過酷な生い立ちを歩んでる人。一方で主人公バナージの持つ「可能性」の覚醒に最も深く寄与した人。悪意・善意を越えて常に「人のため」に生きざるを得なかった彼女の人生は冷静に見ても涙無しには語れない。終盤、体は満身創痍ながらもそれまでも人生で心に受けてきた傷全てを癒す光を取り戻しながらも最後に彼女の生まれついた宿命通りに散っていく様は何度読み返しても涙が止まらない。
 
 リディ・マーセナス
 どんなにすごい活躍をしても最終的にはあくまでも「主人公バナージのサブ」というのがすごく悲しいイケメン。「勘の合う」バナージとのコンビネーションプレーとかどんな時でも直球勝負の融通の無さが彼本来の魅力と魅せ場であるのには違いない、が私的にはミネバに振られるあたりからの三枚目振り、更に「これ、もう完全にお互いのツキ落とすために組んでるとしか思えない」アルベルト・ビストとの「三枚目」コンビの頃の歪みっぷりと投げやりっぷりが実は一番好き。

 ダグザ・マックール
 イカしたオヤジその1。「特殊な軍人」であるが故にまともな人生を送ることの出来ない悲惨な人、ダグザ隊長は色々すぎる出来事が生んだ心の闇を自身の行動を人生の規範とせねばならぬほど心理的には追いつめられた状態、それ故にバナージの見せた「光」に触れることの出来ないほどの眩しさを見、誰よりも強く反応し、バナージに背中を見せることを義務としてしまう。『機動戦士ガンダム(ファースト)』でアムロに強烈な印象を与えておいてその後の『Z』『ZZ』では登場することのなかったランバ・ラルのポジションを受け継ぐ。卑怯なくらいファースト世代の脇腹を抉るキャラ。恐らく我々はずっと彼らの登場を待っていたのかも知れない。

 スベロア・ジンネマン
 イカしたオヤジその2。こちらが抱えるのは自身の個人的事情による深すぎる闇。妄執との引き替えともなりかねない凄まじい憎しみを抱えながら家族同然・・・とは言いながら例の出来事のせいで真に家族とすることが出来ない・・・クルーを率いる背中は時々眩しい。図らずも「背中」を見せることになる「小僧」の生き様に知らず成長しているオヤジの言葉は深いし悲しいし照れくさい。マリーダへの「キャプテン」としての最後の命令、そして「お父さん」としての最後の交感、やはり涙無しでは読み返せない。

 ヨシム・カークス
 イカしたオヤジその3。て言うか誰? あれです、地上編で連邦軍に鹵獲されたUCガンダム奪還作戦で旧ザクに乗っていた旧公国軍の生き残りの少佐です。実はジンネマンより階級が上なんですよね。
 物語中しばしば登場する「咬ませイヌ」の一人と言ってしまえば他愛もないのですが、彼の操る「ザク? スナイパー・タイプ」始めこの作戦で登場する「ザク・キャノン」「ザク・マリナー」「ドム(・トローペン)」「ドワッジ」そして極めつけの「カプール*1」、コイツらロートルに与えられた最後の活躍の場に胸躍らせないファースト世代が何処にいようか・・・。 
 そしてその最期のシーン・・・「また道を塞ぐか『ガンダム』・・・」。最後に訪れた最高の晴れ舞台を逃がしてしまう、旧ザク乗りに相応しい「最高の栄誉」を手に入れた愛すべき負け犬に乾杯!

 オットー・ミタス
 イカしたオヤジその4。人はいつでも成長できるという例を見せた、バナージ達ニュータイプとはまた違う意味での良心。見かけお世辞にも格好良いとは言えない汚いおっさんが内面からじわじわと滲んでくる覚悟がいつの間にか人を引きつけ将器を形作っていく様は最高に格好良い。自慢の紅茶の最後の残りを部下に振る舞うシーンは苦笑を誘うシーンに見えて何げにこの後確立されるリーダーシップを暗示するシーンだったのね、と他の連中とは趣の異なる微妙な伏線が「心優しい」この人らしい。
 
 フル・フロンタル
 主人公バナージの希望を尽く否定する存在として「ライバル」と言うより「トリックスター」、更に言うならガンダムシリーズのヒーロー「シャア・アズナブル」を全否定に近い形で存在してしまっている作中最大の問題人物。「全てに絶望したシャアならさもありなん」「ならばもしかしてホンモノのシャア?」とあれだけ引っ張っておいて、暴かれた正体の(ある程度の予想の範疇ではあったけど)呆気ない中身に、もとい中身の無さにこれだけ落胆させられた人物もいないかも。最終盤、全ての化けの皮が剥がされ、読者にとって「失望と言う名で満たされた器」と化した後にバナージとの対峙で語る独白は正に「亡霊」としか例えようのない不気味さ。トリックスターらしく最後まで一筋縄ではいかない。ついでに言えばアンジェロ・ザウパーとの容易にあっち系の創作が可能なスキだらけの描写も含めて一筋縄ではいかない。アンジェロは最後の最後まで悲しいまでにアンジェロであったという描写は美しいのだけれど。

*1:それにしても何故ここでカプール?福井さんこのまん丸好きなの?