渡島のテツ人


 青森港をフェリーが出たのは夜の23時。函館に着いたのは2時過ぎ。道が誇る函館の夜景もこの時間ともなるとそんなに華やかにとは言えない。むしろか弱く申し訳程度と言った様子であるが夜中のこととてやむを得ない。問題はむしろ渡島地方これから昼にかけて雲多くかかり後に雨になるとの予報の方で予定では本日中にせたな町大成地区まで行かなければいけない都合上、雨の降らぬ内に少しでも多く距離を稼がねばならないということ。
 その為、ほぼ一日中24時間明々と電灯を灯し、意図せずして夜中道内に到着するバイク馬鹿共の仮眠の場を供する函館港フェリーターミナルを休息もそこそこに離れる。時間は3時前。
 函館市内といっても港から市外へは向かわずそのままひたすら海岸線に沿って延びる国道を西へ。行き先表示には「木古内35? 松前98?」この時、関東から秋田回り800?の道のりを経てようやく北海道に到着した昂揚もあり、また存外に寒くもない函館の気候に胸躍り、この表示をあたかも国道16号の「春日部10? 野田25?」と同様の感覚で解釈。関東感覚ではまさか3つ隣の町までの距離が2県庁所在地を移動する距離と同等とは、しかも一般道で行く距離とは思わない。白状しますが正直、北海道をナメてました。
 以上の要因による感覚の摩耗は、「市街地を過ぎると国道に全く信号機が無くなる」という事実によっても増幅される。函館市内で最後のコンビニを過ぎると段々と街路灯が少なくなる。国道であっても。道路の左側は申し訳程度のガードレールを挟んですぐに海。渡島半島の特徴ある股型の海岸線に沿った線形を描く沿って時々カーブがキツく道に沿った電灯が全くなくなる頃、辺りの闇とも相まって左側の海の向こう、函館の街の光がよく見えるようになる。先ほどはあれだけ頼りなく見えた光が場所を変えただけでこんなに鮮やかに見え、都会に住むことで摩耗する一部の感覚を改めて思い知る。海に近いところに街の光、その上にうっすらと山型を描く影は函館山であろうか。国道はそのまま海岸線にほぼ正確に沿って行く。そのため道路と平行するように左側に見えた函館の街の光はだんだんと後ろの方へ下がっていきそのうち視界から消え失せその後に現れる真っ暗な海。海というのは道路の真横が海岸であり、そこから波の音が聞こえいているコトであり、そのことから想像される「おそらく海であろう」といった程度の推測でしかない。函館の光が去った後、道路の向こう側、視界を埋め尽くすのは闇のみ。バイクに乗っていなければ進んでいることさえ判らなかったかもしれない。闇というモノがこれだけ深いモノ、この事実を初めて知ったような気がする。そう思えば随分と幸せな人生を歩んできたモノだ、そんなことを考えながらバイクを走らせ、当然の如く全く終わる気配のない深い闇にとてつもない不安に苛まれるようになる。情けない話だが、これが今のところ人生で見た一番深い、闇。
 海岸沿いの集落をいくつか過ぎて後、木古内に至る。木古内には駅がある。一人で心細かったのと、ゆっくりと安全運転で走り続けていたのとで無性に鉄道駅が見たくなり国道を駅方面へ曲がる。

 駅前に行く前に迷子らしき遠方のナンバー〜と言っても道内のナンバーなのだが〜の車を追い越す。駅前は薄暗い。そして寒い。バイクを駐めて駅側から海方面(つまり今来た道)をぼんやり眺めていると時たま駅の入り口まで車が来ては停まることなく去っていく。この地域では駅とはそういう扱いらしい。駅舎は橋上にあり、階段前の鍵のかかっていない扉を開けて階段を上り跨線橋へ。途中褌一丁の男性ばかりが載っているポスターが大量に貼られている。よく考えなくても何らかの神事であることは判るのだが、駅構内が薄暗かったせいなのか、疲れていたせいなのか、そんなときは素の性格が出るのか、ただ「ホモかと思った」。

 駅舎への入り口は閉じられていてガラスを通じてしか中を窺い知るしかない。ぼんやりと時刻表は望めるので初電がいつかくらいは確認することができる。当然まだ2時間くらい先。改札が開く気配さえないのだから当たり前だ。そんな駅舎の前でやはりぼんやりしていると後ろをジョギングでございといった格好のおばさんが走っていく。人の気配に目が覚め、耳を澄ませると遠くから鉄路に刻む音。無意識に、たぶんコレを待っていた。
 音の主は貨物列車。カメラの設定が至極適当であったためおもクソ撮り損ねる。そんなにヒマでもないので別に次の機会を待つつもりはなく、今来た道を戻り駅を出ると再び別のジョギング人とすれ違う。
 外に出て、地図でこれからの行き先、行く気はないけど周囲の観光地を確認していると再び鉄路を刻む音。まあ別に、撮影にはそんなに執着あるわけじゃないから良いかと適当に見送るつもりだったのが、いざ列車が近づいてくるとどうもそういうわけにはいかなくなる。来たのは「トワイライトエクスプレス」だった。関東圏では逆立ちしても見ることが叶わない、珍しいっつっちゃ珍しい列車、撮っておこうと設定そのままのカメラで撮影。

 失敗。設定いじっている内に列車は木古内駅を通過していった。乗客はまだ寝ているだろう。私はと言えば、いつもながらこういう場合にあまりにアドリブの利かない自身に傷心、再びバイクにまたがりゆるゆると海岸線の国道沿いまで戻る。東の空は少しずつ明るいが海側はまだ暗いまま、海に向いた鳥居越しに沖の漁火は微動だにせず。 

 海岸沿いの、国道まで戻る。東側の空はほんの少し明るくなり闇に揺籃される孤独が少しずつ解消していく。なんとなく浮谷東次郎はすげぇなと思ったりする。木古内の隣町、知内町の市街地は海の近くで有名な神社があるらしく国道沿いにあちこち幟が立っていてそんな市街地を過ぎると道路は山の方に向かい、周囲いきなり山がちになって登場するのが道の駅しりうちと併設する海峡線知内駅。道の駅併設の鉄道駅といえば青森県にある津軽今別/津軽二股/道の駅ふたまたが結構楽しかったので*1今回もそれと同様の期待をして寄ってみると、北海道旅行の常で道の駅の駐車場は来るまあ移動の旅人に車移動の旅人に占拠されていました。屋根アリを羨む瞬間でありますが別に遺恨はありませんので寝ているみんなを起こさないように静かにバイクを停めます。

 見た目は期待通りのとても面白い駅でした。

 有名な話ですが、この駅普通列車が停まりません。にしてもこれ程とは思いませんでしたのでコレもとても面白く。

 コレも有名な話で恐縮なのですが、北海道新幹線の工事に当たってこの駅が基地となっているため、ホームの傍らに新幹線用のロングレールがその出番まで置かれています、と言うより駅の規模が規模なので殆ど基地の傍らに駅があると言った方が正しいのかもしれません。
 ちなみに、函館方面から来るとこの場所、もう町を出てしまうといった端っこに当たるのですが、この駅の駅名表示を見て初めて「知内」が「しりうち」と読むのだと知りました。ここまで脳内「知内」はずっと「ちない」と変換されていたのでここに至り脳内ATOKキチンと補正。北海道を旅しているとこんな場面に多々遭遇します。北海道旅行の醍醐味です。

 行き掛かり上、ホームに降りてみます。木古内では不可能だったのでちょっと嬉しかったです。この時も全く期待はしていなかったのですが、「列車の通過」を告げる放送が流れたときはしめたと思いました。そして登場したのは

 「北斗星」。今度は多少はマシに撮れたようです。

 やはりまだみなさん寝ていたようですが、青函トンネル出た直後初めて通過する北海道の地と駅を見るため早く起きて窓を眺める乗客もいたことでしょう。そんな乗客にとって、一日に2本しか列車の停まらない駅で朝早くからカメラを持って立つ私の姿は間違いなく変態に見えたでことでしょう。屋根有るとか無いとかそれ以前に列車旅を羨む瞬間です。それにしても普段最寄りの駅で普通に見かける長距離列車を遙か遠く離れた北海道の地で見ることにある種の感慨が生まれます。近くを走っている列車がそのまま遠くでも走っているというコトを信じられない、疑り深かった幼少時代の自分に是非この光景を見せてやりてぇモンです。
 そろそろ道の駅車中泊のみなさんがごそごそ起き出してトイレが混雑しだしたのを潮時として静かに道の駅を離れることとしました。
 国道はしばらく遠目に海峡線を眺めながら走りますが、線路の方はまもなく山の土手っ腹をぶち抜いた穴に吸い込まれそのまま本州へ。当初の予定ではトンネル近くまでいって撮影するつもりだったのですが、近づくためにはダート道を走破しなければいけないということと、一応「天気を保っている間に距離稼ぐ」の原則があったため、仕方なくスルーしました。一応国道から遠目にトンネルの北海道側と思しき出入り口は見えます。
 その後は相撲で売り出してる「道の駅横綱の里ふくしま」を通過
 
 この福島町、千代の山千代の富士と町出身の横綱が二人登場しているということで「横綱の誕生する割合が日本一高い町」として道の駅で相撲を売り出す契機になっているようなのですが、調べてみると町出身者として他に「山本直樹」の名前が登場。もしかして「メジャーデビューするエロ漫画家の誕生する割合」も日本一なのではないのかと。町内を回ってもそれと思しき記念物はありませんでした。他に「福島町青函トンネル記念館」というハコモノがあり、大変興味をそそられたのですが早朝のこととてまだ開館しておらず泣く泣く福島町を後にしました。

 福島の市街を離れると国道は再び海岸線へ。この頃になると西側に当たるここら辺でも朝日はしっかりと射すようになり、このまま晴れてくれればいいのにと思っているところへ

 国道ど真ん中チャリで暢走するオヤジ登場。後送するトラックの煽りをモノともせず手を振ってくれます。そうです、国道とは本来沿線の地元民のために最大の存在意義を持つモノなのです。なんだか今日は良い日になりそうな気がします。

 そうこうする内にすぐに松前町へ。以前の記事で述べたようにここで白神岬を抜かすミスを犯して*2先に松前の市街地近くまで。すると唐突に国道に沿って左手側の海岸線に対面して右手側に何やら柱状の橋脚の跡が登場

 なんだか積雪時の路肩注意の矢印が廃線跡を指し示しているように見えますがさておき、旧松前線の廃線跡です。

 廃止されてまだそんなに日が経っていないせいもあるのでしょうが、橋脚・土台・築堤はそのまま残っています。

 今残っている築堤から察するに、旧松前線、松前町内に入ってからは市街地までほぼ海岸線沿い、それも高いところから津軽海峡を望む位置を通過、結構な眺望を望めたモノと思われます。

 先程の橋梁跡からもう少し松前方面へ行った先。後で調べると恐らく旧及部駅の辺り。周囲何となく駅跡の気配はしていたのですが資料が何もないため断定は出来ず。

 そのまま築堤跡を歩くと

 すぐに草むら。このまま先程の橋梁跡まで歩いていくことも考えましたが何の下調べもしない中ではキケンと思い止めました。

 足下にはバラストが残っています。
 
 今さっき歩いてきたところを下から眺めたところです。周囲の草むらのため実際に歩いていても周囲の様子、足下のコンクリ等は判りません。現役時代乗りたかった・・・。

 図らずもバイクで辿ることになった旧松前線の末端部、バイクで辿ったのはここまでなのですがこの後松前市街の観光をした際に、市街地での痕跡を探してみ(てとても観光客が行きそうもないところをウロウロし)たのでせっかくですので載せておきます。

 まず、松前駅跡。駅舎跡には碑が立ちます。城とスルメを目的に来た観光客にとっては全く興味なんぞ涌かない代物のハズですが、松前城歴史博物館でもらった観光地図等にはしっかりと「駅跡」として描かれているので、町民にとって忘れることの出来ない、心を残しておきたい気持ちは強いのでしょう。同時に廃止の無念さも伝わってきます。

 周囲で直接鉄道に関わる異物として残るのはホームの一部のみ。この並びは土が盛られ桜並木となっています。

 嘗て松前の玄関口として機能していた名残「観光案内所」と「観光地図」の跡。郷愁です。
 旧駅前広場の目の前を通る道に沿って旧駅前通りの名残はあるのですが(古い看板には「駅前通り」の文字が残る)、駅跡目の前のバス停は「公民館前」となっていて隔世の感、涙を誘います。

 最後に旧松前城下、現在城址公園となっている下を潜っていたトンネルの跡です。見たとおり塞がれております。上の公園では観光目当てに来た人たちがわらわらと歩いています。当然の如くこの塞がれたトンネルの入り口に気付く人はいません。その足下に嘗てトンネルが通っていたことなど知る由もなくそぞろ歩きを楽しむ人に対し、心の中で「お前らの足下にはお前らの知らない秘密が眠っていようことなどこれからも知る由もあるまいぐへへ〜」とかイタイ優越感に浸りながら松前は後にしました。
 実はこの先に松前から先に延長しようと計画・着工してその後放棄された未成線の名残の橋脚等が江差方面の国道に沿って残っています。同じく道路に沿って左手の海岸線、絶景が続くため、右手の寂れた使われたことの無かった橋脚等に気を止める人もあるまいと思いますが、気になる方は勝手にどうぞ。 おわり