『無理心中日本の夏』

 男と別れたばかりでやりたくてしょうがないネジ子(桜井敬子)は迷彩服姿のまま何をするともなしに立ち尽くすオトコ(佐藤慶)を引っかける。ネジ子の誘いに乗るわけでもなくかといって明確に逆らうわけでもなく、何とはなしに道行く二人、ある場所でヤクザが武器を掘り起こしているのを見たためそのまま二人はアジトに拉致される。そこで一緒になったのはライフルを撃ちたくてアジトに潜入した高校生(田村正和)。囚われの身となった3人が放り込まれたのは出入りに備えて組が雇った殺し屋達の待機する部屋。3人は思う。ココでなら自分の望みを叶えることができるかもしれない。持ち込まれたテレビから徘徊する外人のライフル魔の存在を伝える。明日の出入りを前に異様な空気を孕んだまま夜は更けていく・・・。

 「死にたがり男」「フーテンのヤリたがり女」「なんか殺し屋」「テレビ調達専門の同性愛者っぽいヤクザ」「高校生のライフル魔」「外人の乱射魔」。登場人物のあまりの脈絡の無さに、これからどう落とし所付けるのかの一点を待って映画に集中していたら物凄く疲れる。最後の最後でタイトル登場、一応は「ああ、そう言うこと?」との納得はしたけど、ココに至るまでにかなり消耗していたので、正直もはやどうでも良かった。
 作中何度か語られる佐藤慶のセリフ「僕を殺した奴の瞳に僕の最期の姿が写るのを見たいんだ(うる覚え)」が語られる度に思い浮かぶのが、直前に上映された『大悪党』の首にネクタイ巻いたまんまで半裸で倒れてる姿だったのでたぶん根本的に映画に付いていけてなかったんだと思う。結構大事と思われる殺し屋のおっさん連中(殿山泰司小松方正戸浦六宏等)が上半身裸で何やら意味深なセリフの応酬をするシーンも「たぶんここのセリフを覚えないとラストまでよく解らないまま」との漠然とした意識を持っていながら結局挫折*1大島渚監督作なので覚悟はしていたけど。
 登場するシリアスながらも実在感のない男達*2の踏ん切りの無さにイライラして一方、唯一の女性、桜井敬子の存在にもイライラし通し。これがつまり「日本の夏の途方もないウザさ」の表現だったのか? 男達のシリアスさが何の意味のないことが解っていたにも関わらずそのシリアスさをこき下ろし茶化す役割に終始する彼女の存在にイラつくのは実は結構男達(の無駄な行動に)にシンパシーを持っていたというワケで、つまり、その意味でまんまと大島マジックの術中にはまっていたワケで、「ワケわかんね」で済ますのが悔しくてしょうがない。故に、最後に残った5人の男女が外人の立て籠もり犯の前にヌケヌケと現れた時、「お前ら何しに来たんだ!」の戸浦六宏のセリフが的確すぎて笑う。実はそれも悔しい。けどもう一度観る気にはなれない。

*1:更に言えば、結局憶えていてもあまり関係なかった気もする

*2:田村正和は含まない