『あかね雲』

 戦争の影が徐々に忍び寄りつつある昭和10年代初め。福知山の連隊より二人の兵卒が脱走する。知らせを受けた猪俣憲兵隊長(佐藤慶)は秘密裏に非常線の構築を命令、なんとしても脱走兵を捕らえるよう厳命するも、一人は辛くも手を逃れ、舞鶴駅より故郷石川の方に逃れる。所変わって、石川県の輪島、故郷の寒村に病の父親、その看病をする母親の生活を助けるため、旅館で女中として働くまつの(岩下志麻)はどことなく影のある泊まり客の小杉(山崎努)より、もっと実入りを求めて山代温泉で働くことを勧められる。そこには姉貴分の律子(小川真由美)が先に出て芸者として働いていることもあり、小杉の勧め通り働きに出ることに。丁度山代に逗留中の小杉の斡旋で住み込みの仕事を得ることはできるがそこはあまり柄の良くない仲居の置屋だった。律子はまつのの身を案じ、小杉の斡旋に首をかしげるも、親身になって自身の心配してくれる小杉にほのかな恋心を抱きながら自分を律し、身を貶めることなく必至で働くまつのだが、ある日手紙で父親の病が重いことを知る。病院にかかるお金が欲しい。そんな時お呼びがかかった旅館の部屋で、見知らぬ男と小杉とが待っていた。男が隣の部屋へ退いた後、小杉が人目を憚りながら小声でまつのに囁く。「まっちゃん。どうか俺の願いを聞いて欲しい・・・」
 
 先に書いたような不思議なサプライズ前座の後の鑑賞。当然ブラック師も鑑賞中。別にテアトル新宿の最前席をタイガーマスクが占拠してたって緊張してたことないけど、名うての邦画通のブラック師と同じスケジュールに鑑賞する邦画はなんか緊張した。自分がつまんねーって感じた映画をブラック師匠は絶賛してたらどうしようとか。別に俺、評論家じゃないからイイけど。
 さて映画。見所は迷うことなくまつの役の岩下志麻。後年のイメージが全くうかがえないのです。正直言うと前半の化粧っ気のない顔の岩下志麻に最初気付かなかった。そうだった、岩下志麻はキレイなのではなくカワイイのだった。対して今作初共演とのことで、彼女より年上の、先に社会に出て万事世間慣れした芸者を演ずる小川真由美がまんま強気に機関銃のように説教を捲し立てるのに対し「はあ・・・」って感じで間を置いて万事いかにもなおぼこい感じがまた魅力。強気に、と思いきや我が身の情けなさと妹分の末路を案じて突然泣き崩れ、弱さ強さの抑揚が岩下志麻との対比に力を得る小川真由美もこれまた上手で岩下志麻が更に引き立つ。一方で、「水揚げ」された妹分のオトシマエがハネた頭の取り返しでしか報えない、いくら強気を見せても如何しようともない悲しい現実は胸を突く。
 悲しいと言えば、まつのの叶わぬ相手、小杉役の山崎努。最初から彼の素性は解るようになっていたので、彼の行動には絶対ウラがある、とは解っていながら、その「ウラ」に翻弄されるのはまつのだけでなく彼自身をも翻弄しつつ、時折見せる彼の「オモテ」の表情*1と行き来する様が危ういほどに上手い。特にまつのを口説いて遂に「差し出し」てしまったその間、苦悶の表情のまま彷徨する様に、遊興と信仰の混在する特異な山代の街並みとがマッチング、この上ないシーンに息を呑む。
 題名の「あかね雲」の意味はそのまま夕日を浴びて空にたたずむ雲のこと。奥能登の海の彼方、この上なく美しい夕日の姿はこの映画では決して良い意味では使われない。そしてそのシーンは全て何故か謎の演出・・・その部分だけいきなりモノクロからカラーに変わる。部分的にカラー映像にすることも当時は立派な演出だったのか、松竹ヌーベルバーグの旗手として篠田正浩監督がカマした奇をてらった演出かどうか解らないけど、正直言って変。公開時劇場で観た、白黒に慣れた当時の観客はどんな印象を持ったか興味はあるけど。
 情景を表すカラーの夕焼けはイマイチだったけど、今と比べて当時の日本のなんて狭いこと。輪島から山代、山代から金沢、そして福浦。一県の北から南へ、南から北へ行き来するだけでこの労力。奥能登に広がる特徴的な地形が小杉の絶望を代弁するようで良い。これは七尾線を行くSLに引かれた旧型客車が見れたからとか今は無き北陸鉄道能登線のボロボロのガソリンカーが拝めたからとか決して別の趣味に阿っての感想ではない。実際、ほんの少し昔、日本は広かったのだ。
 で、折角の特集上映、つまり裏主役は佐藤慶。彼の役は脱走兵小杉を冷徹に追い詰めていく任務に忠実な憲兵将校。お役としては打って付けですな。任務のためには「可哀想な」女の秘密が公になり、たとえ路頭に迷うような結果になったとしても「お国のためです!」の一言で一刀両断。「お国のためです!」在り来たりとは言え、今作一番格好良い佐藤慶のセリフ。いいな〜。その反動からか、その直前、任務の中の聞き取りで対峙する律子とのやりとりが、「感情にまかせてボロクソ悪口を言う小川真由美」と「感情を表さない佐藤慶」の対比が後で思い出すと面白すぎて笑ってしまった。彼が一番最初のシーンで登場したことで、自身の複雑な事情に苦悶する小杉を演ずる山崎努の演技が生きてくるワケで、「国家」と「貧困」に翻弄される民衆を無意識に虐げる権力者側の表情が無表情な佐藤慶の表情に託され、ただの悪役ではないのだよ。最後に山崎努を追い詰めるシーン、杖状に立てた日本刀に腕を預け、兵卒の運転するバイクのサイドカーに揺られながら微動だにせず、の姿がこれまたイイですな。ココだけの話、あれ、乗り続けると腰と尻と膝がムチャクチャ痛くなりますねん。

*1:その殆どは苦悩・苦悶の表情