拾遺 古宇郡泊村大字泊村 『法輪寺』

 北海道ネタはまだ続くのですが、もうさすがに終わりも見えてきたのでそう言わずお付き合いを。

 泊村を訪れた際、1番目に付くダントツの観光施設は間違いなく『とまりん館』だと思うが、ここ法輪寺も泊村のガイドブックを編集すれば3番目くらいには載せても遜色ない名所だと思う。泊村のメインストリート、国道229号線は、泊村の中心街、泊村公民館を過ぎて泊村役場が見える辺りからその殆どを「ハコモノでござい」といった建物がイヤと言う程目に付くようになる。泊村の村役場は周囲の町村と比べてダントツに近代的な造り。ちなみに周囲の町村の役場建物でダントツにイカスのは古平町なので*1近くにお寄りの際は是非。
 で、このメインストリート、要は役場の周囲は公共の建物だらけ。しかもみんな立派。その中でもネーミングセンス共に抜群な村営無料スケートリンクとまりん*2』を過ぎるとさしものあと100年は好景気を約束された泊村といえども村の端から端までハコモノで埋め尽くす程の余力(と無節操)のあるはずはなく、国道下に見える市街地とその向こうに果てしなく広がる日本海を望むこの地域らしい風景が再び現れる。
 すると海側とは反対の山側、国道を望むような位置に突然赤い屋根のお寺が現れる。

 真ん中に大きな本堂、渡り廊下で繋がった脇に一回り小さなお堂を配し、遠目には小振りな平等院鳳凰堂かと思いました。泊村内に法輪寺なるお寺の存在は泊村のWEBサイト等で簡単な紹介もあり、チェックはしていたのですが、これ程結構な威容を誇るとは思わず、密かに期待です。

 ただ、村のホームページ等で紹介している割にはこのお寺、全く観光地然としていなく、門前、境内は人気なし。本堂の扉も固く閉じられているため訪問して良いモノか躊躇してしまうのですが、ここは厚顔に門を叩いて無理言ってでも入らせてもらうと出てきた住職夫人のおばちゃん、快く案内。どうも、ここはこうやって見学するところらしい。

 参拝のお目当てはこれ。本堂一面を飾る天井画。
  おばちゃんは「好きなだけ、ゆっくりしていき」と私一人を本堂に残して庫裏へ引っ込む。以降お言葉に甘えて堂内、好きなように見学させてもらう。

 天井画と言えば長野県小布施町にある葛飾北斎による『八方睨み鳳凰*3』が思い浮かびますが、こちらの方の天井画、これだけ多く、精力的な仕事をこなしているにも関わらず作者は無名の画家だそうです。その代わりと言っては何ですが、こちら法輪寺の天井画、小布施の岩松院では現在禁止されている「寝っ転がって鑑賞」がやり放題。天井画鑑賞の醍醐味を今でも充分に堪能可能。思いっきり寝っ転がって、の前にきちんと仏前には手を合わせてこれから働く無礼はきちんとお詫びしましょう。

 当たり前と言えば当たり前なのですが、ここは仏寺なので信仰の対象としての偶像は満載。偶像好きとして、天井画だけでなくこれもたまらない。あちらこちら撮れるだけ写真に収めたのですが、大体が仏さんの遺影付きだったのでここで挙げるのは自粛します。

 日本仏教界第一の聖人も梅原猛とかマンガとかの影響で随分と印象が変わってしまいました、聖徳太子

 窓の外、竜宮。

 さて再び天井画。あまりにうだうだと時間をかけて堂内を眺めているので死んでるんじゃないかと心配になったのかおばちゃんが何度も様子見に。気にせず、飽きもせず、眺め続ける。

 解説の類があるわけでもなく、知識も乏しくはっきりとしたことは解りませんが、本堂上の画は主に禅宗に関わるエピソードや人物、禅画が多く描かれているようです。禅宗全体の開祖、達磨大師や日本曹洞宗の開祖道元禅師らしき姿やその他高僧の姿、かと思えば所々花鳥画っぽい題材を求めた画も見えるのですが、画の印象は全体的に何となく文人画っぽい印象です。

 こちらの一角は大和絵っぽいタッチで画題も絵巻風。

 「むこうの水神さんも手合わせてやって」再び様子を見に来たおばちゃんが指し示した廊下を挟んで本堂より奧の堂。此処の画は本堂と同じような禅の題材に混じり多く動物が描かれ、それも実際の動物だけでなく想像上の動物も多く、私的にはここの画が一番のお気に入り。

 動物たちの目が、楽しそうでもあり悲しそうでもあり・・・共通して言えることはとにかく可愛くてうふふなのです。目が合うと離れられないのです。

 ホント離れられない・・・。

 もう何度目か、おばちゃん呼びに来るのを潮時に、庫裏へ案内してもらいアイスをご馳走になる。「北海道のアイスは(本州と)違うから美味しいよ」との誘いに期待して待っていたら出てきたのはウチの近所のコンビニで百円で売ってるラクトアイスだった・・・。
 それはさておき、それまで何かの作業に勤しんでいたおばちゃんと、たまたま遊びに来ていた近所のおばちゃんも交えてなんか色々世間話が始まる。当然旅人は珍しいので話題は私に集中。私はと言えばそんな攻撃を躱しながら、このお寺のことについて、画について色々質問。要はお互い会話が噛み合わないのだがお互いそんなことは気にしない。
 まず例の画について、3代前の住職の頃、内地よりやってきた旅人が泊村に逗留しながら何日も通って描き上げていったとのこと。その旅人が誰なのか(高名な絵描きなのか)良くわからないと。これだけ面白さ満載の画なのだから一度ならず調査の手は入ったであろう、にもかかわらず特にその作者の名が知れていないのはやはりこの絵の作者は無名の人なのであろう。名も無き旅人に天井画を描かせて飾ることを許すとは随分と大らかなお話し。大らかと言えば、今より4代前の住職の時代、この辺りは丁度ニシン漁が最盛期、更には裏山からは石炭が採れると泊村今以上にブイブイ言わせていた頃で、景気の良さを反映して泊村内には5軒もの遊郭があった程(要はバブルだったんですな)。当時の法輪寺はそんな景気の良いイワシ漁の網元や鉱山の社長を檀家に持ち、ハンパでなく景気の良かった住職は毎日遊び呆けた挙げ句、ある晩遊郭からの帰りに酔っぱらって燈明を倒し寺を全焼させてしまったという有り難いお話しや、その後有力檀家の尽力でわずか2年足らずで再建したのが現在の本堂とのお話し、なかなかスケールの大きなお話しで今では信じられない。正直にそのように感想を述べたところさもありなんという風に、当時西積丹一帯の町村は全てニシンで儲かったが中でも泊村は別格だったと地元の贔屓目、今でも大変泊愛に溢れるお話しを聞かせていただきました。

 私としては明日にも旧炭鉱跡のある山の方を探索したかったので、地元のお二人から現在の炭鉱の様子や心配なクマ出現の情報等地元でないとわからない情報を得ようとしたモノの先に述べた互いの会話の妙もあり、またそこはおばさま、自分の興味のない話題を華麗にスルーする話術にも長け、その話はいつの間にか北海道にはいないゴキブリの話にすり替えられうやむやになってしまいました。けど総合的に見て興味深いお話は伺えたので、遊びに来ていたおばちゃんがゴミを出しに帰るのを合図に私もお暇する。

 門前のゴミ捨て場。良くも悪くも今の泊村の象徴。情緒を留めておくために、ここは文言のクールさには敢えて触れないでおきます。