その百二十 結城市結城大町 大日堂内『歓喜 大師堂』


 観光地図中のドットで表される寺社を巡る旅はまだ続く。地図に依れば毘沙門堂の先の道を曲がってしばらく行くと、「大日堂」と書かれたお堂の印が見える。大日堂・・・文字通りなら大日如来、つまり密教の最高仏を奉るお寺。名前の大きさに比して、直接お参りすることは案外少ないように思える。まあいつもの如く住職の在すること、本尊の直接拝むことに大きな期待はしてないが、ドットの案内もあることだし行ってみようと。
 地図の通り、路地を曲がってしばらく行くと、古い街道沿いのような古風な住宅街が道路沿いに並び、同様に道路沿いに並ぶ街灯の蛍光看板に黒い文字で「大日堂」の文字、その街灯の街灯のある当たりは建物が道に面しておらず奥まった先に建物がある様子で、遠くから見ると何もないように見える。看板にも出ていることだし、その場所に間違いは無かろうと近づいてみる。
 ところでこの大日堂がある通り、先に書いたように古い街並みの面影が濃い。一階が店舗になった木造家屋が今でも多く連ねていることによる印象なのだが、その殆どは、店を開けることなく、戸を閉めたまま並ぶだけ。言わばこの一角、「寂れた感」が強い通り。もちろんこの日たまたま休業のお店が多かっただけという説もあり得るのだが。いずれにせよ、そうのような一県寂れた感のある街の一角にあるお堂、恐らくはここも適度に寂れていること容易に想像でき、この手の趣味の楽しみの一つである適度な寂れ感、想像は楽しみと気分の昂揚に強く働きかける。
 そうして実際に、道に沿ってぽっかり空いたその場所、お堂のある場所の近くまで来て、実際にその街灯の下に立ち、目の前にその姿を拝んでみると、先ほどまでの気持ちはとは真逆の、失望に近い気持ちに打ち拉がれる。「お堂の適度な寂れた感」を期待してきたのだ、それに「失望」したと言うのならそこにはさぞかし「立派なお堂」が建っていていかに興ざめしたかを想像できよう。
 逆なのである。あまりに寂れすぎて、もはや荒廃と言ってよい程の荒みように失望し、来てしまったことを後悔したのである。このシリーズ、いかにも適当にお寺お宮を回っているように見えて、実際適当なのだけれど、一応神様仏様にお参りをして回るのだから多少の験はそこで得たい、期待まで持つことは少なくともその程度の思いは持ってお参りを、との気持ちまではさすがに捨ててはいない。そうなるとさすがに困るのだ。あまりに荒廃しているお寺お宮は。何か験とは別なモノが付いてきそうで。かといってここまで来て引き返すのは本来の意味からしても大変失礼に当たる。ここまで来てはお参りしないわけにはいかない。さて困った。つげ義春の『リアリズムの宿』にこんなシーンがあったのを思い出した。
 木造のお堂が年を得てそのまま古びるのは仕方がなく、時にその古びた感が味わいとなる。ただそれも過ぎると、古びた感はそのまま朽ち果てるままと呼ぶに相応しくなり、後はそのまま土に小町九相図よろしく土に帰る。要は、このお堂、街の中に在りながら、顧みられること少ない。これはとても悲しい。
 そんなお堂の様子、正面扉は固く閉じられ中を覗うところができないが、周りを囲うトタンに所々隙間。更に横側の壁が叩き壊され大穴が開いている。よって中の様子はよくわかる。本尊納める厨子は辛うじて被害無く、いつもは仏像の見えない厨子の扉の口惜しさがこの時程有り難いと思ったことはない。ちなみに、お堂前の広場はゴミ捨て場になっていて、裏側にはダメ押しのようにエロ本が散乱・・・。
 あまりのヒドさに本堂に千社札を納める気分は完全に萎える。境内には本堂の他、前の広場の脇の方に小さい祠が在り中に弘法大使と歓喜天を納める旨の額があり、像の前には御簾がかけられている。こちらも本当に大事にしているとは言い難く、やはり痛んだ祠の外壁、かなりリアルな造形の大師像も痛々しく一部が割れている。ここもどうか、思ったモノの、お大師様の前に供えられたグラスに湛えられた水がなんだか凄く澄んでいるように見えて、周囲のあまりのヒドさとのギャップに酷く戸惑う。ので、千社札はこちらに納める。手も合わせる。それにしてもヒドく後味の悪い参拝だ。