小和田駅より鉄道は使わず次の駅へ向かうその2

〜前回のあらすじ〜
 厭世感の強いsans-tetesさんは徹夜の仕事明けに観たテレビ、芸のないタレントが山手線の一駅間をヘラヘラしながら歩いてレポして金までもらっている姿を見て激怒する。「こんなモンでカネもらえんのか! だったらオレだって一駅位歩いてやらぁ!」 かくて駅間距離が都会の路線並と有名な飯田線に乗り込み人知れず有名な小和田駅へ降り立ったのだった・・・→http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20091112

 さて、いつまでも小和田駅小和田駅も言ってられない。私はこれからこの駅を降りなければイケナイのだから。などと大仰に構えて覚悟を決めるモノの、秘境駅のクセに先程からあたり中にこだまする重機の音。田本駅に続いてここでも・・・。

 原因はアレ。目の前をに横たわる天竜川本流をせき止めて出来た佐久間湖上に浮かぶ作業船。これが着いた当初からひっきりなしに「山中にこだまする」なんて生半可じゃない音を立てて作業をしている。どうも、湖底に溜まった土砂の除去をしている様子。
 天竜川のどこの基地からどうやってここに来るのか判らないが、更にもう一台が来て同様の作業を2倍速で始める。つまりこの場所、小和田駅から降りても船で拾ってもらえば鉄道以外でも容易にアクセス出来る。つまり小和田駅下車完了! よかったよかった・・・

 そんなわけはなかろう。第一お前は目前の船で脱出できるだけの手づるを持っているのか? 特急「伊那路」がまるで駅など無いかの如く通り過ぎて行ったことだし、ここは横着せず素直に、いよいよ、やっと、小和田駅下車を試みることにする。

 駅舎を出るとすぐに現れる行き先表示2つ。「散策道」へのツッコミは後にするとして、「門谷・大津峠」の矢印の方。この方向に従うと線路に並行して道があることになるのだがそれらしきモノはない。ちなみにここに書かれている「門谷・大津峠」の地名、調べてみると「門谷」とは隣駅大嵐に向かう途中にある集落名、「大津峠」と一応この駅のある場所「水窪町」の中心部に向かうために越える峠で、当然ここより標高はずっと高いところにある。以上の情報は帰ってから改めて調べ直した情報で、つまりこの矢印に素直に従えば最短で隣の駅へ向かうことが出来るはずなのだが、前述の通り「道」らしきモノがないのでいかんともし難い。この場所を訪問した当時、そのような情報は頭に入れていなかったこともあり、線路構内に無理矢理侵入してしまってもかまわんだろうという選択も取れなくもないが、先日色々あった関係もあってあまり無理はしないことに。よって、進路は好むと好まざると「散策道」の方へ。

 「散策道」と矢印が指す方向には前回紹介した「愛のあづま屋」がかなりの勾配を下がった先にある。「散策道」の言葉を素直に飲み込むことが出来る幸せなカップルを、途中今の季節ススキがお出迎え。ちょっとお寒い気持ちに赤く色づきかけた木の葉が寄り添う。駅舎内に貼られていた昔の写真にはかつて数本の桜の木が写っていたので嘗ては散策道としての体面を保っていたのだろうが、今、少なくとも今の季節にその面影はない。

 散策道かと思って油断すると実は歴とした集落への道となっているこの道、矢印の先「塩沢」は所謂現在唯一小和田駅を最寄り駅とする人々が住む集落。つまりこの道こそが小和田駅のメインストリート。この駅をデートの待ち合わせ場所にするカップルはつまりここが一番解りやすい場所、即ちここは小和田駅のアルタ前です。

 アルタ前から延びる道は見ての通り結構な勾配なので女性の方は履く靴に注意、男性の方はきちんとエスコートしてあげること。

 駅から1分も経たない内に登場する「山火事注意」のリス。普段なら「動物(のイラスト)可愛い」と絶賛するこのブログですが、これから語るとおこのリス共がが段々と憎らしくて憎らしくて仕方なくなる、その為今回コイツらを誉めはしません。脱線しましたが問題はそこではなく、「駅徒歩1分」「散策道内」に「山火事」を注意しなければイケナイと言うことです。

 道を曲がっても相変わらずの勾配、その先に再び登場する行き先看板。「小和田池之神社 5分」「塩沢集落 1時間」 「高瀬橋 25分」・・・遊歩道はいつの間にかどこかへ行ってしまったようで、あるのは現実的(?)方向表示。看板の傾き加減はその現実への疑念を喚起させずにはいられませんが、折角の道標、ここは従ってみることにして、とりあえず一番最短距離にあると思われる「小和田池之神社」へと行ってみることにします。

 お気づきの方もおられると思いますが「小和田池之神社」標示の向こうに何やらトタンの屋根が見えます。人いるのかよとお思いの方、ご安心を。ここはこのように立派に廃墟。この周辺をウロウロしているバカ共*1のブログ等でも紹介されていますが、どうやらここはお茶の葉を加工、精製する工場だったらしいとのこと。それらのブログでは訪れた当時のこの廃墟の様子が写真付きでアップされておりますが現状、とうとう機械の重さに耐えきれずに底が抜け、扉があったと思しき場所は完全に風穴と化し、あと数年で建物そのものが崩壊するであろう事確実な有様となっています。

 ちなみにも一つ、先程の廃屋と道を挟んで向かい側、廃屋と並んで小和田駅に一番近い建物、こちらは歴とした民家だったようです。ルートの関係で今回は近寄っていません。

 道票に従って神社の方向への道はこんな感じ。このブログ、いつの間にかこんな道ばかり登場しているせいでもはやこのレベルでは何の感情も抱かない、そうなってしまう人間の「慣れ」を恐れる今日この頃。

 岩ゴロゴロの見た目はかなりキテいる道ですが、ここは降雨時上から水が流れてきて川になるようで、それ故に荒れっぷりらしいので、晴れたこの日は大したことはありません。

 先程の「川」を越えると割合まともな道が続くようになり一安心ですが

 こうなると本当にこちらでよいのか結構心配になります。

 そんな先に見えてきました、「小和田池之神社」。祭神名の書かれたモノがありませんのではっきりとは判りませんが、「池」の名が付くことから龍神、更に諏訪湖に関連してタケミナカタが祭られている気がします。
 それにしても世の中広いモノで、どこで調べたのかこの神社について「嘗てはもっと低いところに祭られていたがダム湖に沈むのを避けるためここに移した」等この場所に至る由緒を書いたブログの記事があったりします。普段訪れる人、管理する人がいないため風雨に曝されっぱなしの神社はそれなりに荒れてはいますが、ごくたまに訪れて綺麗にしていく人がいるような様子も見えます。
 色々気付いた点はあるのですが、この神社にはしっかりと千社札を納めてきたので詳細は後日の記事に譲ります。譲るの良いのですがこの記録もまだ続きますのでとりあえず今回はここで区切ってまた次回に譲ることにします。>>

*1:同志とも言う