その百二十一 結城市大町 『蛭子神社』


 先程お参りしたお寺があんまりにあんまりで結構ブルーに。このままとぼとぼとバイクへ戻りその心持ちで帰ればヘタすると命に関わりかねないとの恐怖から、先程のお寺に行く途中、キレイで立派だったのと時間の関係で寄らずに通り過ぎた神社を験直しに参拝することに。それにしてもそこまで言わなくてもイイじゃん、エライ言われようの大日堂がんばってくれ。
 陽も大分傾きかけて、境内日陰が多く目立つのにまだ新しい加減が残る本殿はじめピカピカの境内、このように神社の境内がピカピカであるのは大抵近く建て直したばかりであるからであることが多く、その建て直した理由はと言えば、大抵が放火で燃やされたことであることが多く、このお社の場合どのケースに当てはまるかは判らないが、二社連続で悲惨だとかなり縁起が悪く色々と差し支えるので、ここはえべっさんの笑顔の徳にあやかったとしておきましょう。
 さて、参拝のため立ち寄ったは良いが、先に述べたとおりそんなに強く思い入れを持ち勇んで来たわけではないので、あまり引っかかる所はなく、更に当然の如く御神体であろうえべっさは本殿の奥深くに鎮座まし影も形も見えない。お参りは済ませ、千社札を奉納し、後はどうしようと考えていた。せっかく来たのだから何処か褒めたいし。こんな時は古典に学ぼう。古典と言っても落語だ。「あんさんは声がようおますなぁ。やっぱ義太夫は声どすなぁ」「あんさんは節や! やっぱ義太夫は声より節や!」・・・アカン、『猫の忠信』しか褒める場面思い浮かばん。
 神社には普通拝殿・本殿正面より囲うように縁が伸びています。大抵は正面を回って横側に達し途中で社横側の壁に突き当たり途切れます。この神社の場合、なぜかその「縁」が「縁」のまま社を巡らず途中から広がってちょっとした広場のような場所を作り、拝殿と本殿と一部になってあります。見た目は神社にと一体と見ると小さな能舞台のような見かけ。見た目通りこの広場の用途は「舞殿」「神楽殿」に近いモノなのでしょうか? ただし、近日にこの場所でお神楽等何らかの奉納が行われた形跡は皆無。なぜならその場所にはカフェのようなベンチやテーブルが並んでいて、それ自体はとてものんきで好ましかったモノの、とても舞を奉ずる雰囲気ではなく、ここでお休みになるのはどちらかと、主祭神のえべっさが他の六神をもてなすためとも、まあこれもえべっさの笑顔にあやかりと言う風なのであろうか、要は徳に関心なく訪れたお社を語る(ツッコミ所を探す)ことのなんと大変なことかという以上の感嘆は沸かなかったというお話しでした。その後無事に帰ることは出来たので験直しの徳は授かっていると思います。