『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』

 精神病院の一室で監禁される人見広介(吉田輝雄)はしばしばある幻に苛まれる。「荒波の叩きつける断崖」「その絶壁に立ち舞い踊る異形の男」・・・過去の記憶を失っている広介であるが、その幻によって広介は自分が狂人でないと確信していた。そんな広介を見透かすように格子越し、向かいの部屋からの視線、その視線の主はある夜広介を暗殺しようと部屋へ押し入る。辛くも暗殺を逃れ病院を脱走した広介は曲芸団の美少女初代より教えられた聞き覚えのある子守歌に惹かれ彼女の出身だという裏日本へ向かう。目的地へ向かう人目を憚りながらの車中、ふと目にした新聞にはある旧家の当主の死亡記事。当主の名は「菰田源三郎」、記事には広介と瓜二つの男の写真、これを自身の謎を明かす鍵と睨んだ広介は源三郎になりすまし菰田家へ潜り込む事を思い立つ。つまり死んだ源三郎が生き返ったフリをしようというのだ。上手く潜り込む事に成功しまんまと菰田家当主、源三郎となった広介は終始自身と菰田家と見張るような異形の影に怯える。その影は前当主丈五郎(土方巽)より発している・・・そう直感した広介は執事の蛭川(小池朝雄)の制止を聞かず丈太郎の住んでいるという沖の島へ向かう。

 「新しく雇った下男です」と大木実が紹介された時会場を苦笑で包む。観客はみんなこう思ったに違いない「おまえ明智だろ!」。
 他に明智小五郎に扮する大木実の魅せ場は一つだけ「弾丸(たま)は・・・(弾丸を掌中に弄びながら)あらかじめ抜いておきましたよ」のシーン。このあんまりにお約束んもシーンに大爆笑。結果的に以降物語の終演に向けて畳みかけるように繰り広げられる劇的な展開の序章となったこのシーンで明智先生活躍終わり。要はこの作品の明智小五郎の扱いはすごくぞんざい。
 江戸川乱歩原作、明智探偵モノ、にもかかわらず当の探偵があまりクローズアップされず地味、という構図は松竹版『八ッ墓村』が有名なのでそんなに違和感はない。では本作で最もクローズアップされているのはだれか? それは「主人公の親父」役の土方巽・・・。いくら生まれつきの奇形で醜い姿にコンプレックスを持っていても振袖着て岩場で踊る親父はいねぇだろ、と。主人公の吉田輝雄でさえないところがまたミソなんですね。別部隊的に大勢の配下を率いる土方巽は別格と取っても、他の脇役達の競うような変質者振りはなんなんだろう。小池朝雄の「負けてられんわ」的な高揚がイヤと言うほど伝わる、精神病院で女装して女囚を陵辱するシーン、しかも生け贄となった女性があんま可愛くないとこがコレも又・・・なんだか精神病院のシーンは吉田輝雄のためではなく小池朝雄のために用意されているみたい・・・。そう言えば一応今回上映特集「シャンソン歌手=高英男」なんか冒頭の精神病院看守役、ムチ振るって「このキチガイ共がー!」セリフこれだけ。この特集はこじつけだな、完全に。
 罠にはまっていく過程で段々疑心暗鬼となり周囲あらゆる人々を疑ってかかる吉田輝雄もほのかにキチガイ感を醸し出していて地味に良い。の割には、坊主姿の由利徹とかと墓場でコントやってる余裕もあったりで一貫しない精神状態はやっぱあんたおかしいんだよとツッコまずにはいられない。冷静に考えて、「(筆跡がバレるのを避けるため)署名をしなくて済むように、書類にコーヒーをこぼす」と云う逃れ方は、毎回やってたらこれもコントだ。
 乱歩的世界観の構築をセットに依らず土方巽と舞踏団と言う人間に依ったという点は、発想としてスゴイと思う。一方で「登場人物総キチガイ」振りに歯止めがかからず主人公始め物語のキーを握る人物全てに紙一重ドコロか明らかに一線を越えてしまっている選択と結論を与えてしまうところ、これが「壊さずにはいられない」石井輝男監督の真骨頂なのだろうか。それにしてもラストで見せた「花火」の描写は奇抜と言うか、普通なら唖然とする場面だろう。このシーンで思う存分笑えたのはここまでの「総キチガイ」振りの上に、観客に埋め込まれた「もう何が起きても驚かんぞ」との気概を上回る演出のためで、或いはこの映画自体が観客の精神崩壊まで狙ったのではと、そんな恐怖さえ感じてしまう作品でした。