その百四十五 川越市渋井『渋井観音堂』


 地元民や釣り人以外はあまり通りそうのない新河岸川沿いの道に、川の方と向いて立っています。例の如く本尊観音様は篤い厨子の向こうに収められており直接のお姿は意見は叶わない。ただ、扉の閉まったお堂を扉の間から覗くと多くのお供え物と共に額に入ったモノクロの観音立像の御影、雰囲気をなんとなく掴むことはできます。運が良ければお堂の扉を開けて厨子の前までの参拝が可能の時もあり、より多くの雰囲気と堂内多く掲げられた奉納額を楽しむことができます。これだけきちっと管理されているのですから恐らくは縁日の御開帳行っているのでしょう。観音立像を直接直接拝みたければこの時を狙うのがよいが、肝心な縁日がいつなのかはわからない。
 さて、私にとっての幸運は、職場への近道探しの最中にこのお堂を見つけたことに他ならず、毎日通る道沿いにこのように好ましげなお堂を見つけて行き帰りに参道のお地蔵様に頭を下げたり、雨宿りに軒を借りたり、時偶お堂の扉が開いていようモノなら上がり込んで堂内に厨子の中にあるだろう観音立像と同じ空気を吸ったり、要は体のよい寄り道先が1つ増えたようなモノで、お金かからず*1ヒマなど潰せて大変ヨイ。そしてこのお堂、どうもそのようなヒマ人を強く引きつける場のようなモノを持っているらしく、ホームレスっぽいのとか労務者っぽいのとか徘徊っぽいのとかが時々横の方の軒下で寝転んでいるのをよく見る。このことから私がこの場所に導かれたのはごく自然な成り行きだったのだろう。かくしてこの場所を愛して止まないダメ人間が一人、この場所に惹かれることになったワケだが、一方でそのダメ人間がこの場所に愛されているのかはよくわからない。
 引き寄せられるのは何か理由があろう。先に少し述べたようにこの場所、土手沿いの細い道沿いに参道を接している。現在のこの位置そのままに解釈するとお堂は川の方に向かっており、その御利益は主に川を行き交う人々に向けられていたのかもしれない。もっとも明治以来幾度も開削を重ね流域を変じてきた川のこと、昔はこの場所を通っていなかったのかもしれない。ただ、詳しい由来は解らないが土手に至る参道真ん中に遮るように建てられた木製の塔に曰くありげの気がするが只の供養塔のような気もする。参道に沿って建つ石碑石仏の類、一番土手側にある地蔵像、顔が朽ちかけ表情はおろか輪郭さえわからなくなっているのにいつ来ても鮮やかな帽子に前掛けを着飾り非常に好ましい。
 「この場所に来たのだから当然」の如くお堂の軒下でぼんやりしていると本日その日だったのか土手の雑草刈りの草刈りの爆音が通り過ぎて行き土手の向こう先程よりも見通し良くなる。するとなにやら小さいのを連れたのが向こう岸から少し離れたところにある橋を渡ってこっちに来るのが解る。小さいのは何時何所にいても賑やかで、お目当てはお堂の隣にあるお遊戯場だったらしい。お堂の周囲たちまち無軌道な喧噪に包まれて、無軌道な小さいのに翻弄される小さいのを連れてきたのが大変そうだ。小さいのを招くのはお地蔵様?観音様? 大きいダメなのが招かれるのはこの序でであったのかはよくわからない。

*1:お賽銭は払いますよ