その百四十七 川越市木野目 『木野目観音堂』


 通勤途中にあるお社です。以前から気になっていましたので訪問してみました、ってそればっかじゃねぇか。

 すぐお隣に小学校、その向こうには音大がありましてこのお社はちょっとした文教都市の一角にありますなどとはメインストリートを少し離れて広がる田んぼを見れば間違っても口に出来ますまい。別にバカにしてるのではなく、学舎に良い環境といコトです。ですからお昼休み時、放課後、校庭の片隅でボール遊びをする児童がOBしたボールがばんばん飛んでくるのはご愛敬。

 周囲田園とは言え一応は関東圏の人の多い地域、お堂の扉は固く閉じられ中を覗くことさえ出来ない。仕方がないことです。お堂周囲は石仏、石塔、代々の住職関係のお墓でしょうか? ほとんどがお堂横側、裏手とあるので目立たない。裏手にはお掃除の用具があって、それがしまいかけで、大事にしてるけど今日は何だか疲れちゃったなぁ、おそうじまた明日にしょうかなぁ、と云った年老いた(?)檀家(?)の心の叫び(?)が聞こえてくるようで却って好ましい。
 訪問したのは夕暮れ時で、目の前の道路は家路を急ぐ車・人でそれなりに混雑。こんな時に喧噪のエアポケット化したお堂やお社に籠もって他人事のように通りを眺めているのはいつしても至福の時でそんなぼんやりを決め込んでいると地元のお方らしき参拝者。お堂の門前に見慣れぬバイクが停まっていたので不審に思ったのだろう。てっきり珍系のバカがたむろしているのかと思った所何だか暗そうな奴ひ弱そうな奴がいたのでこれなら万一戦闘に至っても勝てると思ったか話しかけてくる。何故ここにいるのか正直に話すと気に入られたらしい。御年85歳になるご老人は毎日この時間に必ずお堂のお参りをしているとのことでそれは若い頃、戦地より無事帰ることが出来たこと、誤って高い所から落ちたのに全く無事に済んだコト、普段より家族でお参りしていた観音様の御利益と信じて以来お参りすることを欠かしていないとのコト。
 ご老人のお話によると昔はこの観音様、子育てに強い御利益のある観音様として有名で毎月8日の縁日には遠く江戸の方からもお参りに来る人もおり門前大いに栄えていたコトもあったとのことですが、今このように参る人希なのもご時世と云ったところ、お堂の扉は固く閉じられ開かれることはまず無くなってしまったとのこと。中の観音像は建立当初から何代目かのモノで、初代の観音様は度重なる災害(主に水害)で木片を残すのみであるとのこと。

 ご老人、自身の話を熱心に聞いている(ように見える)自分をちょっと感心したらしい。住んでるところを聞かれたので答えるとご老人の奥様の出身地と同じ町内とのこと。まさに悪いことは出来ないと云いたいところだが、ご老人はますます縁を感じたらしい。一旦お家に戻られてその奥さんと相談して、「観音堂やその他、木野目地区周辺の古いお話とかを書き取ってお家に送る」とのこと、私にとって全く悪いお話でないので一も二もなく了承、言われるままに住所を渡してお別れした。そしてその後、今日までに一年が経つが未だに何も送られてこん! アレやっぱりボケとったんだろなぁ、もしくはキツネに化かされたか。まあどちらでも良いが、願わくはじじい、今でも元気にいると信じる。じじい元気で長生きしろ。