西津軽の森林鉄道からはずっと海が見えるよ その2 青岩「亡骸肋骨大便毛羽毛現之気違」海岸

(その1→http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20120417)
 七つ滝周辺を抜けて軌道跡を辿るためそのまま国道伝いに歩きます。国道339号線が元々西津軽森林鉄道の路盤跡を利用して作られたのですから頼まれなくても軌道跡を辿ることになるのですが。
http://goo.gl/maps/U60c
 前回最後に紹介した隧道跡から先(南側)、石垣のようなはっきりとした路盤の姿でなくなり、後から崖崩れ保守のための工事の跡なのか自然の稜線なのか区別がつかなくなります。途中山の方へ向かう林道がありますがやはり北津軽の険しい峠道を越えて三厩方面へ向かうのでしょうか? クマは出ないがムジナが出るという奧津軽の山道、事前の調査不足により踏破すること能わなかったのは返す返すも残念です。

 さて記事の本題である森林鉄道について、南下しながら辿ると次の見所は地図(グーグルマップ)で「青岩」と記されている辺りになります。相も変わらず命の綱は国道339号線なのですがここまで海岸線に沿った比較的平坦な勾配を走っていたのがここに来て少し海岸線を離れるや急勾配を描いてこの「青岩」周辺を抜けるルートを取っています。私は日頃から怠惰を常としておりますので当然の如く今回の旅行についてもまともな下調べを殆ど行わなかったのですが、その中での数少ない下調べの一端として他人のWEBページを流し読みすると言うことがママあるのですが、今回流し読みしたその記事に依りますとかつてはこの「青岩」一帯を軌道が通過する際地形の関係から隧道で抜けた、ただその隧道は国道開通の際道路の路盤に完全に埋没させられてしまった、とのこと。その記事では更に埋没してしまった隧道の痕跡を探して海岸近くを右往左往の挙げ句結局痕跡の確認はできなかったとのこと。大人数で探してさえそのような有り体なのですから怠け者の私がそんな苦労を取るはずがございません。

 よって私がこの地で行った探索は「一旦国道で『青岩』を通過、南側から国道下の海岸線沿いを歩く」というコースを取りました。自分で言うのもなんですが、今回私の取ったコースは下調べが面倒な怠け者のクセに成果だけは十二分に獲たいと日頃考えるダメ人間にも充分堪能できるコースだと思うので世の怠け者諸兄、心して読むべし*1

 国道が急に勾配を持ったと云ってもたかが知れておりまして別に『8時だよ全員集合!』でやっていた急な坂道コントを彷彿とさせる急峻かつ滑りやすい坂道を必死で登る、といった感は全くなく気付くと下り坂になってた位の印象しか持ちません。重要なのは下りつつある坂の途中、右手側先程まで足下に見えていた海岸線が段々と目線の方向に降りてくる。辺り一帯海岸線は砂浜です。ここまでの道のり海岸線と云えば岩場ばかりでしたので奧津軽初めての砂浜は新鮮と云えば新鮮な眺め。このまま砂浜が遙か七里長浜で続いているかと云えばそう云うわけでなく砂浜は適当なところで途切れてしまうのですがそれはまた別のお話です。

 左手側、軌道跡を見失って久しく代わりに現れたのがやってるのかやってないのかよくわからない旅館のような施設。これがやってない、既に廃墟だとしても全く違和感無いのは右手に続く砂浜に相も変わらぬ日本海の荒波のお陰で。当初の目的を忘れてしまいぼんやりとそんな風景を眺めていると視界の隅の方に妙な物体が飛び込んでくる。明らかにこの場にはそぐわない、似つかわしくない、あってはいけない、とまでは云わないが一見用途の明らかならざる構造物。

 どうも、木製の橋脚のような構造物。現在の基準で考えれば「鉄道橋の橋脚が木」などと云う事実、まるでキツネに化かされたかの如き椿事と云えようが、まるで伝説の如く伝えられる多くの軽便鉄道で実際に木造であったが故の悲喜こもごもを幾多の書物を通じて垣間見、知識として頭の中に準備された「橋脚が木」と云うお話し、これを実際に見る「橋脚が木」と云う姿からいかに自分の想像力が貧困であったか思い知らされる、そのような衝撃的構造物は無残にも朽ち周囲生い茂る草にに飲み込まれるが如く埋もれかけていました。

 保守という最低限鉄道が生きている印であるための作業からとうの昔に解放されて後は長の年月風と砂に洗われるに任せた嘗て健気に鉄路を支えていたであろう木造橋脚はまるで人類の現れる太古の昔に砂漠で力尽きた巨獣の亡骸のように見え、せめて少しでもその亡骸に触れようと近づいてみんことを試みるも、どうも当然のと云うかこの場所小さな沢と云うか水の流れのある場所でしかもその周囲津軽の厳冬にも負けず青々とみなぎる草の山に足場定かならず、ナマケモノには危険と判断、遠くから眺めてその嘗てその亡骸に血肉の通っていた時の姿を想像するのがせめてもの供養と云えましょうか。

 ともかく橋脚、その道床あったと思しき前後延長上に存する土盛りは間違いなく路盤の跡でしょう。その路盤の跡に何故か白い建物が一軒。普通に人の住んでいるお家かはたまた路盤好きの変態金持ちがカネにまかせて建てた別荘か、いずれにせよ地脈ならぬテツ脈を断ち切る構造、もしも秦の扶蘇の如く同胞の罠に陥ろうモノなら傍らに仕える蒙恬の如き名将も「我嘗断鐵脈」と嘆息しながら死を肯んずると云う恐ろしい物件だと思います(史記蒙恬列伝)。

 何はともあれ近づいてその様子を確認、そのためには国道より海外線へ近寄らなければいけません。現在の観察地点である場所(国道脇)は海岸線より少し高所に当たるのでそれより低所にある砂浜へは崖、とまでいかなくても段や傾斜になった浜と崖との境を降りて砂浜に足を踏み入れます。その際に路盤跡を踏み越えて行ったはずなのですが不思議とその記憶が抜けてます、何故かと言えば

 砂浜に降りて先程の橋脚跡延長線上にあると思われる崖の辺り、現れたのは無残とも云える路盤の成れの果て。七つ滝の周辺の路盤跡では一部崩落しながらも辛うじて全容を確認できた石積み石垣状の路盤が、ここでは見るも無惨な崩落振り

 もはや路盤の原形を留めておりません。より海に近い側はより浸食の度合いが高いと、ただそれだけのことなのでしょうが

 ここを戦場と見立てれば死屍累々、ここは正に路盤の命果つる場所

 ガレた崖の足下にはガレた残骸が所かまわず転がっているもの。一帯当然のごとく小破片化した石垣の欠片が砂浜にばらばらと散らばる。ガレの規模の割に欠片が少ないのは波にさらわれていったからなのでしょう、そんな路盤の残骸を数えていると

 石と異なる、が石よりもより鉄道構造物の名残を強く感じる落とし物。間違いなく枕木でしょう。

 路盤よりもより車体に近く鉄道運行の便を供する枕木の存在、正直ここまでの廃線行、鉄道構造物の名残と言うには余りに想像とかけ離れ残骸を辿るの行に少々心苦しく、まるで心得違いの隠亡が墓穴の亡骸を漁るが如き浅ましさを思い始めた中、「枕木」と云う一目で鉄道構造物とわかる遺物の存在にやや安堵の光が心に射したこととても安らいだ気持ちになったところを

 再度頭上を見上げてその目に入った光景に再び心は戦慄を覚える。あれ、なんだと思います?

 「あれ」の正体はほんの少し前一瞬だけ心和ませてくれた「枕木」の成れの果て・・・成れの果てという言い方が正しいかどうかはわかりません。なぜならあの場所の枕木達は現役時代と殆ど変わらぬ位置で踏ん張っているのですから

 遺構探索を目的とせず見た場合、あれら「崖」から「等間隔」にはみ出た「棒」はまるで古生物化石の肋骨に見えないだろうか? 

 これら「崖肌等間隔突出枕木」育成の仕組みは恐らくこうでしょう・・・?廃線時レールを撤去、撤去されなかった枕木のみ路盤と共に残る→?崖崩れ等原因で路盤上に土砂等の堆積物により枕木一旦可視不能な程度まで埋もれる→?放置による劣や風雨による浸食等により路盤崩落、その際枕木片側を取り込むように斜面が形成、重量の軽さ故に斜面に支えられる形でまるで斜面に突き刺さるような形で枕木が残る←イマココ

 斜め読みするとまるで化石の形成を説明する一文のようですね。ああ楽しい。

 多少の偶然を交えて眼前に残った列枕木も更なる浸食・崩落の過程で形を変えてしまうのでしょう。今この姿を拝めることの僥倖、更にそれが付近の風景と一体化してなんの違和感も起こらない奧津軽の厳しい自然、そもそもなんでこんなトコに鉄道引きやがったか、だいたいからしてコレ「森林鉄道」の跡だよ何処が「森林」だよ、等々胸に去来する思いは尽きません。 

 因みにその「崖肌等間隔突出枕木」形成最初の段階で既に取り払われていたことで崩落を免れた本来の路盤の主役「レール」はこのように一足先に地面に到着、列を為して突き刺さり崖崩れなり波浪なりなんかの防護の役を担っております。このレールくん達もまさかずっと後になって元同僚の路盤くんが落ちてきて再びお隣さん同士になるとは思わなかったでしょう。

 中にはその元同僚さんが落ちてきた時モノの見事に大命中して自身は無残に折れ曲がり同僚さんにはスティグマの如き傷を穿ち、廃線廃材元同僚の同士討ちや廃線悲哀の極みと果て候

 ところで、ここら周囲の遺構で一番始めに目に飛び込んできた「鐵脈を塞ぐ」が如く路盤上に建つ建物に話題を移します。憐れな路盤跡と比してこちら、外壁に塗られた白ペンキが剥げもせず、ある程度手入れがなされた別荘か小規模な保養所のように見えます。周囲柵で囲まれ一応進入禁止だよとの無言の圧力を以て存じておりますのでこれ以上の関わりは無用と思います。それにしても路盤上への建築許可及び土地収得の許可は何処より得たのかなと言う一点は非常に気になる物件でした。

 それよりもその白建物より更に奥に、もっとずっと安普請でございと言った感じが奧津軽の寂しい海岸線に大変よく似合う一回り位見窄らしい建物が存しておりまして、どうもこちらも路盤上に建てられている様子。一体全体ここらの土地関係はどうなっているのやらと近づいてみることにします。ちなみにここから海岸線に沿って北側、路盤が続いていたと思われるあたりから岬の先にかけて、路盤崩落波ひっきりなしに押し寄せる海岸線、おそらくは国道開通の際の工事によってその痕跡は全く見いだせません。当然この岬を抜けていたと言われる隧道跡も全く判りません。

 さて、話は残ってる路盤跡に戻ります。うまい具合に路盤上=建物のある場所まで上ることのできる道を発見。発見と言うよりこれはこの建物の主か誰かがこの建物のために造ったと言った方がよいのでは、と予想できるよい道、その好意に甘えて路盤と思われる場所まで出ますと、点々と何やら木を植えてる。この点々と路盤とに従って辿り着いた先にあったのは

 例の見窄らしき物置らしき木造の小屋。よく見ると路盤跡はこの小屋の少し上の方を通過しているようにも見えます

 例の石垣に

 上から見た路盤跡。崩落の様子がよくわかります

 さて、例の見窄らしいの、どう見ても漁師さんやら地元の方のお仕事に供する大切な建物なので余り深く立ち入らず、軌道路盤所々崩壊せりと云えども一部こうやって細々と今でも地元の役に立っていることオチにしてここは終わろうかと

 丁度建物の横からその上、国道に繋がる小道がありましたのでここから次の目的地へ

 行こうとするとなにやら発見

 コレはどっかで嗅いだコトがある・・・

 臭う臭う、コレはきっとキチガイの匂い

 急遽小屋前に戻ると小屋には小屋の用途を表す謎の文字。そういえば周囲真っ黒なソファーやら置いてあって確かに何か無理した別荘のような佇まい。大体からして目の前の海岸、夏海水浴可能かどうかよくわからない。いずれにせよ未だ冬景色の海岸に、夏用の別荘のあること当たり前と言えば当たり前のこととて自身の著しく欠落した想像力ではとても補えない。

 ともかくココでやたら大便を放るヤツはそいつの方こそキチガイに違いあるまい。何かとても消化不良のまま、それ以上周囲にいることもはばかられたため早々にその小屋を離れ、再び路盤崩落の跡激しい海岸線沿いを南に向かうことに。この小屋の教訓は、とにかく頭脳を働かせて現実の不可解を想像力で補うこと。

 そうすればアラ不思議、こんな海藻の固まりが毛羽毛現に見える。けうけげんケウケゲン・・・イヤコレどう見ても毛羽毛現!*2

 そして再びカメの歩みはとぼとぼと、ナゾの遺物(?)多い奥津軽の海岸を南へ向かうのでした。(つづく)

図説 日本妖怪大全 (講談社+α文庫)

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*1:当然のコトながらこの記事を元に強風吹きすさぶ津軽の奥地を歩き回って何か遭難しても当方一切責任は持ちません。怠け者ですから

*2:http://www.sakaiminato.net/site2/page/roadmap/bronze/043/