奥会津の煉瓦塔

 「柳津」を初め「やなづい」と読むと思い込んでいたのでその場所が何処にあるのか皆目見当さえつけず、不思議と只見線の駅名に「会津柳津」なる駅名があるのに首を傾げながら殆ど偶然辿り着いた柳津の市街地は突っ掛けで徘徊したくなるような街並み。ただ今回の目的は雰囲気のある寺町温泉町を気ままにそぞろ歩きすることでなく通過以外に目的の消化のしようのないバイク乗り、町外れにある郵便局前から延びる枝道の先に目的地はありました。

 市街地から少し離れるとそのまま廃線の如く車影の常に絶えている只見線の橋下を潜り山の方谷の方へ向かうに更に人影の絶え少々不安になりながら幾つか目のに現れる「塩野」と云う集落から唐突に「銀山」と地名を示した看板の先にあるのは見るからに荒れた道

 「軽井沢銀山」は会津地方随一の銀山として会津藩の時代から大いに栄え、藩政時代から明治期にかけて周囲の道は採鉱された銀を効率よく若松城下まで運べるよう開削されたことから「銀山街道」と呼ばれ道中大いに賑わったとコト。維新の後紆余曲折の末鉱山は足尾で有名な古河系の傘下に入ったモノの程なく閉山、その地に再び栄耀が蘇ることはなかったモノの跡地周囲に現在も遺物が残っているとのこと。よう知らんけど。

 「銀山」の看板を見つけた当初タカをくくってバイクでそのまま登って行くことも考えましたが、まあこういう道は慣れっこなんだし足でもって登っていこうと

 少し登った場所でその判断が正しかったコト思い知ることになります。雨雪の浸食で未舗装の道は殆ど溝で出来てると云って良いほど削れていてオンロードバイクじゃちょっと厳しい

 少し道を踏み外そうモノなら落ちてくるもの待ち構えるかの如き砂防ダムにボチャン。もっとも前日早々と勝手に仕事を切り上げてこの地に行くことのみのため早寝してること自体既に道を踏み外しているようなモノなのでここらで道を踏み外したところでどうと云うことはありませんが。

 いずれにせよの急斜、高度上がる毎に段々と色づく紅葉の葉の増えるコト確実に秋の深まりと共に深山の奥深く踏み入れていく心地目にも肌にも感じ始め・・・

 と幾何かの拙い風流に心を委ねんとするや視界に飛び込む無粋この上ない国土開削の立ち入り禁止看板。看板はきっとこう言ってます「慣れない風流気取るな」

 工事現場、確かに子供の頃から決してキライではありませんでした。が、文明より捨てられて人々から忘れ去られた場所を目指す今ばかりは人の手の新たに歪に無理矢理に手を加えようとする様を見せつけられたくなかった、などと宣いながら看板の警告ガン無視、すると横から「銀山峠」へ至る道出現。峠越えて更に向こうかの有名な西山温泉に繋がること殆ど知られてない様子。

 見た感じあまり険しく無さそうな峠、めんどくさいけど越えようか越えてみいとの誘惑をはね除け道なり道の延びる先に突如現れた景色を見て驚く。遠くさも当たり前の如く煉瓦造りの構造物、その麓にまるで選ばれた人々だけがその構造物を奉祭するためだけにここに住んでいると言わんばかりの数軒の家屋、集落が存在。

 そこには単に朽ちかけた煉瓦塔だけが所在なげに建っているとばかり思っていたので、この「何かこの中だけで何でもできそうな何もできなさそうな、ともかく住むのは大変そうな」集落の出現に心は非常に狼狽

 狼狽と言えばその集落一番入り口(?)寄りの家屋に放って置かれた鉄の車輪。トロッコか或いは、ともかく明らかに鉄路と対になる類のモノの出現、同時に鉱山遺物の出現、その思いもよらない登場に心躍り冷静でいられない。

 見渡すと集落に家屋の類の構造物4件

 1件のみ未だ使用しているような生活臭のささやかに漂う物件あり、人の気配はしないものの敷地に入ること少々憚られる。そのため他の、明らかに人の使用している気配のない或いは明らかに崩壊が進み廃墟となっている建物にもあまり近づかずにおく。

 さて、拍子抜けするほど簡単に現れた目的の煉瓦塔、どういうワケか眼前の集落の端の方、広い駐車場みたいな空き地が広がりそこから見る少し高所の、傾斜の崖の登り切った先にある煉瓦塔の姿が本当に讃え崇めるかの如き威容を放つ。恐らくはこの開けた空き地に嘗て鉱山関係の施設があって連動して作業をする必要上その真上に精錬所(煉瓦塔)が存在し、そのいずれも遙か昔に儚くなった今、仰ぎ見るためだけが目的の如く煉瓦塔だけが建っている、そうなったのだろう。

 遠くから山際を背景に見ると表面の煉瓦がまるで化粧石のように映えて見える。正直この場所から眺めているだけうっとりするほど綺麗な建物、且つ山間に似つかわしくない不思議な眺め

 よく見ると煉瓦塔の後方にズリ山と思しき地肌。間違いなくここは嘗て鉱山として一時の栄耀を見た場所。やはりもっと近づいて見なければなるまい

 もちろんこの場所でさえ人が居ない上の更に人の居よう筈の無い場所へ向かうのだから日本二大人殺し野生動物・・・クマとスズメバチには充分注意しながら

 一方で煉瓦塔までの道は常時人の往来している気配さえ無けれど意外に整っていて近づくことは容易

 道の途中で現れた碑は嘗て栄えた銀山を讃えるものらしい。旧藩主家当主松平容大による筆で、維新と閉山と、二度の忘郷を強いられたこの地の人々が敢えて請うたその思いの強さを物語るよう。残念ながら摩耗、汚れがひどくそのまま読むことは難しかった。

 この季節、周囲ススキの林に覆われて眺望容易でない碑のある場所からも薄赤ら顔を晒す煉瓦塔の位置は容易に知れ、この場所に碑を建てる意味なかなかに理に適うとも見え、赤煉瓦に誘われるまま更に坂道を登ると

 煉瓦塔麓まで直ぐに辿り着く

 本来炉や釜の煙を逃すために立てられたであろう縦長の構造物もその意とする体を奪われ独り残されたことは特にさしたる目的もなかろう事、近づいて見てそのあまりのぞんざいな管理の仕様でよく解る

 遠くから薄化粧してるように見えた表面の赤煉瓦も単に摩耗と埃の染色が進んで煤けて居るだけであったことよく解る

 何よりもひどいのは塔頂から直下の引力に逆らえず崩落するままに地に放られた赤煉瓦。今この時も風向きと場合によっては地の機嫌の加減によっては新たに放り投げてくるとも知れない

 驚愕且つ呆れるべきは塔頂にも増して深刻な事態を引き起こしている塔の土台近くの部分。下手クソな杣が倒し損ねた神木の如く抉られるように煉瓦が欠けている。

 つまりこの場所、遠目の見た目より近寄ることずっと危険。

 例えばある場所に「明治時代に建てられた赤煉瓦造りの建物」が殆ど手つかずで残っていたとしよう。近代建築の萌芽を感じさせるその建物は歴史的にも景観的にも諸人認められることとなりまたその唯朽ちるに任せる事を惜しむ声無視すること能わぬほど大きくなりやがて公にその建物の保全を認める力となる。今この場にある煉瓦塔とその保全が認められる建物との違いとは「ある場所」に他ならない。人の多く目に着くその場所に

 嘗て秦の李丞相が嘆き立身の戒めとしたのと同様に建物の価値はその建物そのものの価値でなく場所によって定まる*1。この得難き異貌を誇る偉丈夫がまるで花柳病の如く身の朽ちていく。

 などという感慨などその場では起きよう暇はなく早々にとにかく風で煉瓦が降って来る何かの拍子で塔が倒れてくる、そんな事態に至ってもここまで離れりゃ平気だろ、と云うような場所の確保におっかなびっくりでそそくさと周囲より距離を取ったのが本当。人は何故「自分だけは大丈夫」と思うのか? どうして「自分だからこうなるかも?」と思い浮かばないのか

 ところで煉瓦塔の先まだまだ何やら道が続き、その先何やらほぼ藪藪大魔王の支配下にある模様。このほぼ人が通る道の役割を放棄し申し訳程度に道としての機能を有する坂の向こうに閉じられた抗口か少なくともズリの山がそびえること間違いないと思われ

 人の足の運びをひどく妨げる足場に頭から覆い被さるススキの藪、上からも下からも休まず攻められ藪で見せず油断を誘うが左側は崖となっている模様。

 そんなモンは正直「その程度」にしか思わないのだが、時々周囲がひどくケモノ臭くなる場所がありそれが断続的に続いて物凄くイヤ。冗談じゃなく本当にイヤ

 気がつけば煉瓦塔の塔頂、徐々に目線の高さ、まもなく目線の下

 藪のおかげであまり意識することなく結構急速に標高を上げつつある煉瓦塔から先の藪道

 次第に遠ざかる煉瓦塔に比して段々近づくズリの岳

 標高上げてより深く紅葉

 突如視界が開け道はズリ山のど真ん中まで運んでいること初めて知るのでした。

 到着したのは見渡す限りのズリ、と云いたいところですがまず目に着くのは遙かな眺望。

 煉瓦塔は遙か下。然るべき季節、煉瓦塔の煤けた赤に紅葉の鮮やかな赤、不完全燃焼気味の黄、色とりどりに映える様が楽しめるでしょう。いやマジに楽しめそう・・・
 なんたってこんな中途半端な季節にココにいるだけでこんなにワクワクできるわけですから。何故ワクワクしているのか、弁ぜんと欲するに已にその言を忘る(陶淵明)

 周囲見渡すとどうもズリ山の頂上にその後更に別の廃棄物(土砂?)を廃棄して二重の遺棄物の堆積となっている。当然草木の生い茂るような栄養が豊かに含まれた場所であるとは思えず事実所々普段不貞不貞しげに集合する雑草の類がこの時ばかりはと点在する姿の弱々しいこと。木々の類は何故か松が数本、深く根を張れない代わりに横にするすると延びている。或いはこの場所近くにあった人家鉱山施設の名残だったら面白いが単に廃棄物に松の実が混じっていただけのことだろう

 ズリの塊は更に山の奥の方で地肌を見せている。こちらと違いあちらはその後新たな廃棄を伴わない手付かずのズリ山の気がするがそもそも「手付かずのズリ山」と云う言葉がひどい日本語でまるで意味のないと云うコトに少し経って気付いたので自然あの場所まで行くことの意味を見失う、と書けば何となく色々考えてそうだけど実際は単に面倒臭かっただけ。

 あまり文句を言っても詮無いコトよく分かってます。せっかくズリ山の真上に来ているコトですから手の届かない遠くの文句を言うより手の届く範囲の悪口でも言いましょうか。まずは足下に転がる銀鉱石の不純物と思われる所謂ズリの更に欠片、石の性質かそれとも風雨に晒され続けたためかほんのちょっと手を加えただけでぽろぽろ崩れ落ちる石が多い。写真のこれなど一蹴りするや魚の造りのようにスライスされた如くの割れ方。どっか隅の方に銀の欠片なり残ってないか覗いてみてもスカスカの中身の無さそうな石の塊。

 こちらは明らかに鉱山と関係のない缶飲料の頭。明治期の鉱山とは全く関連のないモノとは云えプルタブの形が懐かしい歴とした昭和の遺物。今でさえこの形のプルタブが一掃されて久しくあと50年も経ってその変哲を知識に持たない物好きがこの場所を訪れこの形に疑問を抱く時、この消耗品の遺物は再び光を放つ。

 そしてこれは・・・これは!

 全く期待してなかった鉱山の遺物! トロッコ用レールに違いない!

 まだ探せば何かあるかも知れない、文句を言うのはやめて次に注目した場所はちょっと深くなったズリの谷間。雨水が流れ込んで水の逃げ口になっているせいか、何やらいろいろと集まり

 その先は断崖の下へまっしぐら。考えてみれば遺物が残っていたとしても一緒にまっしぐら。まかり間違えば人も足下取られてまっしぐら。

 ところがどっこい、今月一番ツいてた瞬間

 何やら先っぽがひしゃげているが間違いない、先程の半ば地表に埋もれて表面腐食が著しく進んだモノよりずっと原形をとどめる遺物。近づいてみると間違いない、鉄路の断面。

 谷間から這い上がるのにちょっと苦労しましたが偶然にしては出来過ぎた成果、後は抗口の跡でも確認できればシロウトの廃坑探索としては御の字。欲は限りなく広がるが

 殆ど下調べの資料漁りも聞き取りもしていない今回の行、鉱山とその関連施設のあったのはこの山の裾野の閉塞した極めて狭い範囲に間違いはないがそれでも100年自然の営みは人の営みの跡を幾十にも隠す眼下の草木。

 何となく「抗口はあの谷になってそろそろ紅葉で溢れるあの辺りにあった」と思うことにした。何となくその場所が決まれば後は何となく手を合わせるだけ「ココに鉱山があったおかげで本日とても楽しむことが出来ました」

 そして気付く、周囲見渡せば紅葉の盛りまでまもなくの色付きよう

 危うくこの木々の姿に気がつかないところであったと

 潮時に山を下りよう

 相変わらずの藪の覆い様、そして所々ケモノ臭い。すげぇイヤ。

 そして再び、どうやら自分が降りてくるまで無事でいてくれた煉瓦塔

 絵になるじゃないですか?

 もっとも絵になろうがなるまいが、近くを通り過ぎる時小走りなのは忘れない。

 遠ざかるにつれ何度も振り返りたくなるほどその偉容が心を捉えて放さない

 丁度塔真下の広場に降りた頃、陽が煉瓦塔の真向こうに雲間からちらりちらりと

 ちょっと神々しいじゃないですか(フレアのおかげ)

 このまま何の保護もされていないと次来る時には無残に崩落しているかもしれない、その思いが何度も振り返りさせる

 ああいいモノを見た・・・と廃墟に来たのに珍しく、とても温かな気分に浸りながらふと煉瓦塔麓の集落の一番最初にある家の前に

 どうもどうやらクマのクソ。先程の異様なケモノ臭さはこういうコトか、などと冷静でいられるはずがありません。なぜならこのクソ先程はこの場所に無かったのですから、明らかに。私が山に入っていたのはたかだか2時間ばかり、その間に冬籠もり前のクマさんは脂肪を溜めるべくエサを求めて人が住んでいないとはいえ民家という明らかに人工構造物があるここら周囲をウロついていたとと云うコトで、最後の最後に、とても、たくさん、すごく、イヤーーーーーーーー。

*1:最も銀座の某地下街のように場所の恩恵も人の声も全く考慮されず消される運命を決定づけた建物もあるワケだが