その八十九 川越市古谷本郷 『古尾谷八幡神社』

sans-tetes2008-12-19

 川越の外れ、荒川の近く、辺りは田んぼと点在する民家。でも、実は有名な神社らしく、夏などは盛大に祭りなどをやっている。年に一度の祭りとまではいかない普段の休日でも、近所の子連れママさん達が多く集まって境内余所者は大変近寄り難い。下手したらそこにいることも憚られる。そこで本日の訪問は、子供ならずとも家路につく暮れ六つ、日の傾く頃。おかげで境内、人影のひの字もない。
 赤に染められた本殿の前に、新旧二対の狛犬。人がいない境内はやたら広く、そんなに大きくもなく、遠くにあるわけでもない社が随分と離れて見える。社の背後から覆うように鎮守の森が迫り、鳥居のある方向を除いて木々は境内を囲む。割と広い緑が残されているように見えて、神社の後ろはすぐに川の様子、そのまた近くを川越線が通っている様子、時たま踏み切りとの音と電車の通る音。この時刻、他には何も聞こえない、ワケではないがその方が何かの都合が良いので、踏み切りと電車の音以外は聞こえないことにしておこう。その内、踏み切りも電車の音も聞こえないことにすれば、傾く日の作る影の中だんだんと深くなる静寂に、周囲木々の中に飲み込まれるように通じる草ぼうぼうの遊歩道が不気味で怖い、ような振りが出来る。が、遊歩道は本当に不気味で何故あるのかよく解らないのが更に不気味。
 境内摂末社多い。やたら宗教施設が細かく載ってるグーグルマップによると、ここには二社の神社があることになっている。他に摂末社とするには幾分大きめの稲荷神社が一つ。その他の細かい摂末社はほぼ一所に纏められる。常とするには遺憾ながら、摂末社の管理は本社に比べると幾分おざなり、せっかく社毎に掲げられる神名の記された額が殆どすり切れて御名の読みとること能わず。辛うじて読みとることの出来る天神社内、恐らくは菅公を模した神像アリ、楽し。
 お稲荷様と並んで全国に数多い八幡様ではあるけれども、実にその正体の掴めない謎に満ちた神と聞く。源氏が氏神としたことから武門の神との連想得やすく、この社も元はそのような起こりを有するか、今となっては想像のしようがない。しようがないので千社札を納めさせてもらう。赤い社に千社札を奉納すると例外なく、お札がうっすら赤く染まる。今回も同様に、そのおかげで社の肌と一体となるようで、今納めたばかりの千社札がまるで古くからあったかのような佇まいに箔がつく。が実際は今納めたばかりのお札、今からこれから私に代わって社に願を掛け続ける。そう言えば願を掛けるに当たって今までそんなに大それた願を掛けたことはない。今まで納めた札の全てに大それた願がをかけようモノなら随分と大それた願いが叶うと思うが、そんなに大それた願は掛けない。随分と欲の無いように見えるが、欲がないかと言うと決してそうではなく、欲は願にかけずむしろ多くの寺社を回ることに回す。願叶わずともそうやって多く寺社を回れた方が素敵だと思う。