内田百間『山高帽子』

 鈴木清順作大正三部作を見ているうちに読みたくなる(『ツィゴイネルワイゼン』中に一部挿入されたエピソードがあり)。
 さて、題名の「山高帽子」とは本作に限っていえば「キチガイ」の象徴で、本作主人公(?)の青地先生がお座敷で呼んだ芸妓が別のお座敷でお相手した「気違いさん」のお客さんが山高帽子を被っていたことによる。百鐘??謳カ自身をモデルとしているように思われる青地先生も随分と奇行を好みやはり山高帽子を好む。ただ先の「気違いさん」との違い、青地先生の「気違いさん」はからかい半分に意識して行うトコロ、更に期せずして一致する「気違いさん」との所作と身なりを気味悪く思う意外に常識人であることを意識させつつ、やはりフロック・コート云々をお気に召す理由が「ズボンのお尻が抜けていても」「ワイシャツの裾が出ていても」威厳が保てるのだからと、そんな理由で宗旨替えするトコロなどやはり疑問符が付く。
 百間小説で描かれる訳もわからず不条理で不気味で不思議な出来事は考えて見ればそれを主観的に感じる想像力がなければ怖くも何ともないお話で、その意味で「お座敷で山高シャッポを頭に頂いて何かあるとつねってくる」気違いさんより、家のことで大きな金銭関係に悩まされ借家に移って後も後始末に頭を抱えている青地先生の持つ怖さと不安がより現実的に容易に想像できる分怖いかも知れない。ところで『ツィゴイネルワイゼン』では中砂役の原田芳雄、誰かをつねってそうで意外に誰もつねらなったなぁ。イヤつねったかな? 女の人は(劇中の)ああいう人につねってもらうのを至極喜ぶんだろうなぁ。映画でも出てきた「お台所の戸棚に鱈の子」の場面、強烈(に、悲鳴を上げる大楠道代が可愛い)な映画の印象を一旦塗り潰して極めて平坦にその場面を想像してみると確かにオカシイ。驚くにしても随分とタイミング良く丼の中身を平らげていたモノだ。細君の方は何を喰っていたのだろう? 「駄目だよ」。
 野口先生はカエルに似ている。顔の長いことは関係無い。自殺をする理由が書かれていないことも関係無い。彼が死ぬ理由がわからないので、そう言えば自殺かどうかも判らないので、彼が死んでしまったこと自体は至極自然のように見えるし、そう考えればこのエピソードに怖いことなど何もない。それよりもむしろ、青地先生が野口先生の死を境に全ての事実を「思わなかった」コトが、「思わなかった」と云う文字の記された箱を持ったもう一人の青地先生が居るような、そんな恐怖は感じた。確かにこの恐怖は他人事なのだ。やはりこのお話は恐ろしい気がする。