大河ドラマ『風と雲と虹と』

 将門好きとしては要チェックの本作。行く先々のTSUTAYAで入荷していたので職場に一番近いTSUTAYAで借りたモノの何故か9巻のみが欠けており途中色々難渋してやっとのこと鑑賞終わりました。

 荒俣宏原作の映画『帝都物語』以前に「平将門」と云う名前を全国区にしたのはこの大河ドラマがきっかけであるとのこと。その証拠に岩井(現坂東市)の国王神社始め平将門に関連した史跡を訪れるとこの大河ドラマの放送を記念して(と同時に大河ドラマ特需を感謝する)建てられた石碑等の記念物を見ることができる。どこ行っても記念碑の建っているのを見た事がない『帝都物語』とは大違いである。
 原作者荒俣宏氏の博物学者としての恐るべき知識・含蓄を余す所なく披露するのが主目的と言って好いような『帝都物語』の禍々しいオカルト色の中心を成す「平将門」と云う人物を本作では生きている人物として描く、及び大河ドラマだし、と油断していると冒頭に登場、闇の中に戦死したはずの将門公の駒音を聞く庶民のイメージに登場する平将門(加藤剛)が黒基調の能装束でぐるぐる回りながら登場とびっくらこく。「そう云う路線なの?」。最もこの冒頭のシーンは更に前に原作者として思い描く平将門の「信仰」的な姿を語る海音寺潮五郎氏の言葉と回をずーっと重ねて将門が戦死して後、物語の結びの部分から繋がるシーンとしてとらえれば違和感は和らぐのだが、いずれにせよ大河ドラマ初回冒頭お約束の「掴み」が正当から外れている雰囲気にすごく評価が分かれそう。
 加藤剛が本格的に登場するは2回目以降で、冒頭の「アレ」から果たしてどんな? と思っているとごく普通の真っ直ぐな青年として登場するのでたぶん『帝都物語』を脱却した上で平将門のイメージを構築する我々が最も親しみやすいイメージの平将門加藤剛は以後忠実に演技するのでその意味では安心して良い。と云うよりはこのドラマで加藤剛が演じた「平将門」が英雄としての「平将門」のイメージを決定づけているように思う。死後の「怨霊」譚については本作で触れられない、つまり「体制側」からの評価はほぼ排除されているに等しく、強大な権威を背景に無慈悲・怠惰・傲慢を貪る体制に庶民の見地から刃向かう蟷螂の斧の実践者として、それ故に死後も庶民から慕われることとなった至極真っ直ぐな英雄の人生を描くことに終始している。まあ、庶民の楽しみ「大河ドラマ」の(それも昔の)主人公なのだから当たり前と言っては当たり前だが。
 そのような路線をほぼ忠実に表現する加藤剛の演技は、「平将門」の人生としては魅力的であるが「演技」としてみるとあまりに実直すぎて時々退屈の感もあるかも知れない。なのに、と言うべきかだからと言うべきか、彼の周囲の人々や彼の周囲で起きる人々の演出が時々常軌を逸していて、特に周期的に登場する「踊り+音楽」のシーン、主に体制側でなく庶民に近い側の文化を表すような表現が多く、それだけにより自由な表現で描くことが可能ということが言えるのためなのか、どれもなんか催眠的な効果というか、頭のどっかの部分に一定の刺激を与えるような動きとそれに合わせた音楽、この部分だけ唐突にサイケになる。毎週日曜夜8時はガンジャとかシャブとかキメながら待ってる奴当時一人くらいはいただろ、みたいな*1。第二回において早くも登場するので興味のある方は是非とも。そしてこの手のシーンで一番ヒドイ(スゴイ)のがヒロインの一人、貴子役の吉永小百合の最後のシーン。足を痛めて歩けなくなった彼女が雑兵達に草むらに連れて行かれて乱暴されて殺されるというシーンがヤバ過ぎて*2この回の収録されているDVDには冒頭に「刺激的な演出を含むシーンが収録されておりますのでご注意下さい」と出てくるのでこれはNHKも認めている位。このシーンに関連する他の役者と言って外せないのが「けら婆」という役の吉行和子、一応「傀儡」と云われる流浪民の親方みたいな立ち位置なのだが、一話中で3回くらいメイクと衣装と髪型が変わったり関東と瀬戸内海を短期間で行ったり来たりしたり何故か民人の扇動者となっていたりとその「象徴」とする所の役柄の幅が厚すぎて(少なくとも「被差別階層」なのか「庶民」なのかそれとももっと超越した立ち位置なのか)殆ど正体不明といったトコロが笑える*3
 本作での吉永小百合、すごく高貴の出の姫君が遊女にまで転落した挙げ句殺されるという、これはもう歪んだサユリスト(と云う定義が成り立つのかどうかは知らないが)が泣いて喜びそうな役柄ですが、よくわかりません。彼女と小次郎(将門)とが初めて心を通わすシーンの「これは真面目で実直な小次郎もイチコロで色香に狂うな」ってな感じでクラッとするのでこのシーンは正当派(?)の人もきっととは思うけど。結果的に彼女もそうなのだが、先にも述べたような小次郎将門の実直かつ正直でお人好しといったトコロに意識、無意識につけ込んでいく形で物語は進行するとも言ってヨイ。もちろんそれは純粋に彼の人柄に惚れて死ぬまでついて行く、みたいなスポ根系お涙頂戴式の判り易く体力勝負義理人情武闘派についても云えることで、例えば京都から慕って着いて来ちゃった元同僚とかなんかいつの間にか居着いちゃった近所の豪族とか、彼らの友情見たいのはそれはそれでヨイ。ただやっぱりこういう「人柄に惚れて(=つけ込んで)付いてきた」連中で本作の面白さ(ぶっ飛び加減とも言う)を体現しているのはどう見ても変なヤツ、それにどう見ても迷惑なヤツ、例えば草刈正雄が演じてる「二枚目だけど暗くて変」な鹿島玄明とか宍戸錠が演じてる「見たまんま豪快に変且つ迷惑」なその兄鹿島玄道とか*4、極め付けが米倉斉可年の演じている興世王で坂東武者の中で京風を通そうとする(一部の幕僚が追従して怒鳴られる)あまりの浮きっぷりに窘められて自重するふりをしながら目付きだけは相変わらず妙な策を捨ててない、その様子が危なっかしすぎて良すぎる。ヒドイ変人と云えばあまり出番はないけど小野道風役の小池朝雄*5が登場するシーンはたぶん一番ヒドイ。「ネコ好き」の設定なのか整理されていない部屋の中に散乱した書物の山の中でネコが遊んでいたり、セットから飛び出てしまうんじゃねぇの?って場所でネコが遊んでいるし、挙げ句に演技してる加藤剛の膝に乗って遊んでいるしと*6ネコやりたい放題。お陰で以来小池浅夫とネコの登場は楽しみにしていたシーンではあるけど合計で3回ほどしか出てこなかったのはやはりネコの用意(演技?)が思いっきり裏方泣かせだったからではないかと・・・。
 変人と言えば敵役も思えば変人多くて、その中で「短気で何かと酒かっ喰らいながら大声でがなり立てて口だけでたいしたことない」という大河的ステロタイプな敵役を忠実に演じている蟹江敬三がマトモに見えるくらい。けど敵の場合その変さ加減がまた魅力で生き生きして叔父の平良兼役の長門勇なんか人柄良さそうな風貌反して意外に与せず、なんか嫁可愛さに言ってることが一瞬にして変わると時々分裂気質なんじゃないかと思うような行動、あと親友から宿敵となった平貞盛(山口崇)に彼と共闘して最後に将門を討った藤原秀郷(露口茂)も二人して「泣きながら将門を射る」という妙な構図は判りにくかったのではないか?*7 ただこの二人が「将門を討つ」に至る処世術、特に貞盛の「プライドを捨ててもとにかく生きる」と云うスタイルはなかなか侮れない。将門モノでは狡賢い敵役として描かれる印象の平貞盛について本作では結構面白い人物に描かれていて意外。秀郷は話さなすぎでコワイ・・・、が彼の語る「根本では庶民は信じることが出来ない」と云う思想も現代でも通用する為政者の在り方で、常に庶民の中にあり庶民に担がれながらその真の時を得ることに見誤る純粋さ故に結果敗北した将門との対比が当時まだ記憶に新しかったであろう学生運動の挫折を暗喩するようでもある。
 悪役と言えば歴代黄門様が二人で悪役やってたな。早々に退場する佐野浅夫に比して西村晃の方がしぶとく最終回まで生き延びるのが嬉しくさすが。威厳と自信に満ちながら言動の端々に慇懃無礼さが見える老紳士が見る見る内に零落、見る影もなく憔悴して最期に発狂してなんて本当に期待を裏切らない役柄が当時テレビで見られたなんてとても信じられない。
 前に述べたように主役加藤剛の小次郎将門が、あまりに真っ直ぐ過ぎるので「史実上の平将門」その人の魅力としてはともかくドラマとしてはちょっと退屈な場面が多々あり*8。この将門像が後半(物語的に彼の最期が見えてきた頃)に明らかに変質し、なんというか、無責任な革命家資質を帯びてきた辺りから私自身はこの資質を持つ人物が物凄く気にくわないにかかわらずドラマ中の将門の魅力が不思議と増したように見える。恐らくはこの乱と将門の最期を史実として知っているからなのであろう。以降しきりに登場する「夢」というセリフについても同様で、それが叶わないことが判っている故に、その言葉の泥沼のように這い出てくる魅惑に感動する。そして将門死後捕らえられた(胡散臭い)興世王でさえ「夢」を語って死んでいったことに「やられた!」感が倍増。初登場自もはや誇大妄想とも呼べるほどこの言葉を多く吹聴する藤原純友(緒形拳)もまたこの意味で面白かった。ただ、物語の舞台設定上(「承平天慶の乱」)主役級が二人並立して進める物語は脚本的には結構キツかったのではないか? 言わば「西の主役」に配された緒形拳の活躍がコレが理由なのか何だか消化不良に終わった(終わらざるを得なかった)のは彼と小次郎将門との邂逅と京でのシーンが印象的だっただけあって、作り手の困難を承知の上で残念。ドラマ中でも断っているように東国の平将門に比べて西国の藤原純友の方に資料が乏しいことも原因なのだろうがそれにしても将門幕下の面々に比べて純友配下の面々の(資料に乏しい故に自由度の高い)いい加減すぎるとぼけた無頼漢振りは笑える*9

*1:つまり本作は「大河ドラマ界の“サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド”」なのだ

*2:手に手に松明持った大勢の男共が「わっしょいわっしょい」言いながら彼女を背負ってどこかへ連れてく。人生に絶望して厭世的になっている貴子姫は微笑を浮かべて男共の松明の光の中で念仏を唱えている。男共囃し声と彼女の念仏が入り交じるカオス状態の中この様子を頭上から映すカメラがグルグル回り始め急速に回転して人の姿が全て繋がった輪のようになった後に事切れた貴子が倒れている

*3:彼女の戦闘は「幻覚を見せて相手を驚かす」といったトコロなのだが、今でならCGを使う所全て実写に頼っているので唐突すぎて凄くヘン

*4:中盤で庶民達の蜂起を手伝った際に味方を多勢に見せるための姑息な計略がなんか笑った

*5:この人に充てられた役なので当たり前と言えば当たり前だが

*6:加藤剛小池朝雄が比較的真面目な話しをしているのにこのシーンでは絶えず「にゃあにゃあ」とネコが鳴きっぱなし

*7:最初から話しをきちんと追っていれば辻褄が合わないことはないのでその点は注意

*8:そう言った場面を周囲の「変人」共が支えて魅力的なドラマにしているのが本作の特徴でもあるのだが

*9:純友の仇敵となった藤原子高(入川保則)が討たれるシーンは最高に笑える