『高山稲荷参籠所』

 今回の津軽行、なんだかんだ言って太宰治津軽』の影は始終付いて回り離れません。言ってしまえば津軽地方で多少なりとも知名度のある土地は悉く『津軽』で触れられているということなのだと思いますがここ旧車力村にある高山の地名とそこにある有名な神社のお話しもご多分に漏れません。幼き頃の遠足でこの地を訪れた太宰は「とりとめも無くぼんやりしてしまつてゐる」とのコトです。金木から高山まで、位置的にはほぼ真西に、途中岩木川を渡るため橋のある場所を迂回、歩くと3〜4時間という所でしょうか? 当時高山稲荷のある旧車力村がどの程度栄えていたのかよくわかりませんが、車力の集落に宿がないとすると、この神社に御参拝の折り3〜4時間かけてその金木か、五所川原まで戻って宿を取らなければいけないので、大切な信徒さんにそんなご不便をかけてはいけないと、こちら高山稲荷神社には社域内に参籠所(宿坊)を設けており、平たく言えばお宿をご用意しており、遠くから遙々いらした信徒さんの利便を供しているわけです。まあ、ここに来られる方の大抵は遠くから来ているわけでありますが。どれだけ遠くと言いますと、弘南鉄道バス停留所高山神社入口」から神社社務所兼参籠所まで歩いて30〜40分かかります。「入口」と名が付くのにそこからそれだけの時間がかかるのですからこの神社(の参籠所)がどれだけ遠くにあるか容易に想像できるでしょう。

 「高山神社入り口」停留所より真っ直ぐ延びる、青森県道「228号高山稲荷神社線」と県道として整備された事実上参道をてくてく*1歩いていきます。少しの間住宅地が続くのですが、すぐに沼地が現れ、そのうちぼんやりと現れたの神社一の鳥居、通称大鳥居。

 大鳥居を越えると周囲木立に覆われ始め、いよいよ人の住まう境外を越えた感強く

 日が落ちる前に同様に巨大な二の鳥居をくぐり境内に辿り着いたことはこの上ない僥倖でした。

 鳥居を潜って目の前に神馬の銅像、その向こうで視界を遮る建物、高山稲荷神社の社務所兼参籠所。本日お泊まりはこちらになりますが、まずは神社本殿に参拝しましょう。こちら、やたら摂社末社が多くどれが本殿か少々迷うと思いますが、そんな時はこれも数多く境内を彩る狛狐さんのどれかに聞いてみましょう。気をつけるべきは油断してその狛狐さんのどれかに心根まで「引き込まれない」こと*2

 見つけた本殿は少し小高い場所にありますので、ある地点から西からの冷たい風が始終顔に当たるようになり、また同時に風の音にかき混ぜられた遠くだか近くだかわからない場所を打ち寄せる波の音がこれまた始終耳に飛び込んできて、先程までの参道道すがら、そして境内周囲、まるで不信心者を拒むが如く鬱蒼と視界を遮る木々の類がこの風を遮り波音をかき消す役目に終始していたことようやく気付きます。

 本殿へのご挨拶を済ませて、いよいよ参籠所。密かに周知されておりますようにこちらのお社、実は本殿の他にも多々見所のある場所で、中にはそちらをメインにお出での方々も少なくないと思われます。場所の良い意味での辺鄙さの長閑さからお社夜間の立ち入り制限を行ってない様子につき、その気になれば「そちら」への夜間参拝も可能とは思われますが、正直、初心者はやめた方がヨイです。どれだけの度胸があろうと、どれだけの崇神を持とうと、何度か御参拝の上「そちら」に慣れていただいてからの夜間参拝をお勧めします。私も参籠所チェックイン*3時間が迫っていることを理由に今回「そちら」への夜間参拝は断念いたしました。つまり、再び、おそらく確実に、「次回」の念を今このときに置いてきてしまったのです。

 社務所に声をかけると宮司さんでしょうか、神職さんが出迎えてくれます。礼を逸せず、さりとて特にべたべたするでもなく、適当に間を保つような応対です。二階の、宿所のある一角はごく普通の旅館の廊下と云って差し支えない作り。私が案内されたのは手前から二番目のお部屋。お部屋の前には宿泊者のお名前をお住まいの都道府県名を添えて書かれた紙が貼ってあります。さすがに「埼玉県」は他になかろうとちょっと他のお部屋に掲げられてる県名をみてやろうとこのご時世でちょっとアレなことをしてみると案の定、他は東北各県からお出でのようでした。「他」と言っても私の他に泊まっているのは一組だけだったのですが。予約の際「今の時期はそんなに混んでいない」と説明受けた通りの客数のようです。メインはこれから、特に9月の御祭礼の頃が最もお泊まりの方が多くなるのでしょう。多くお部屋の空いている気楽さからお食事はお隣の別室に運ばれると云うことで、何となく廊下のソファーで待っていると階段をえっちら上ってきた賄いのおばあさんが私の顔を見るなり「にいさん以前も来なすったでしょう(津軽弁)」と声をかけてきた。そうなのです。私こちらの参籠所は今回で二度目、けど一度目は10年近く前のお話。大体がこんな何処でも居そうな顔を良く見分けたモノだとこちらのばあさま、50年こちらでお仕事をされていると云うこと。大体からして初回こちらの「宿」を見つけたのがWEBで適当に青森県内の宿を探していたところ某サイトに普通にホテルやら民宿やらに混じって「参籠所」と見慣れぬ接尾を伴う名前を見つけ、もちょっと調べたらそれが彼の「高山稲荷神社」の宿坊だったと云うことで、これはもう行くしかないな、と確かに私も昨日のように憶えているのだからその時参りました客の顔ぐらい憶えているのはワケのないことなのでしょう。他に人影なく、廊下で話すと声が良く響くので食事の用意されるお部屋に先に入っていると既に暖房に火を入れてまず部屋を暖めて北国おもてなしが為されていました。別に宿坊だからと云って冷たい板の間に、勝手に動かすのがはばかられるようなお膳が一列に並んで、背を正して糧にありつくようなコトはなく、普通に机に運ばれてきます。テレビも可。普段テレビなんか見ないので、旅すると一気にテレビと仲良くなる。
 運ばれてきたお食事は、ごはん、うみのものうみのものうみのものうみのものうみのものやまのものやまのもの、と云った塩梅。全てここらで採れたモノだとすると、豊かなのですね、津軽と云う土地は。せっかく仲良くなったテレビさんも、悪いけど今の場所に相応しいとは思えないので再び縁を切る。するとせいぜい暖房の音、遠く風の音。本当に人のいる気配の乏しく、けどなぜか寂しい気分にも陥らず、お食事美味い。こういう時、できるだけこういう時の気分にいた方が良いと思うので、この後は風呂入って早々に寝ることにしましょう。

 朝起きて、お部屋からお外を眺めると、昨夜は暗闇にうっすらとしか見えなかった巨大な鳥居が、今度は朝日を背にはっきりと立つ。東側に立つ鳥居の背に朝日が差し込む、と言えばごく当たり前の変哲ない光景なのですが、これがなぜが此度の旅で一番の贅沢に思えてならない、正に神社の参籠所に泊まる醍醐味と言えようか

 転じて、参籠所の西側、日本海の見える側。神々しい気分の、一瞬にして塵の如く吹き飛ばす荒涼さ。ちょっと降りてみましょうか

 神社の裏手、海岸までは堆積した砂をずぶずぶと踏み分けながら、風と雪とで枯らされたと云うよりはぎ取られたような木々の屍のような姿を横目に

 生き物の気配さえ剥ぎ取られ風と波とがただ延々と繰り返し打ち寄せる七里長浜

 ずっと見てると唯々死にたくなるので程々に

 海から目をそらしても絶望するような木々の群れがただ広がるだけなのですが
 高山稲荷神社は西津軽随一の神社とは云え、その創建は社伝にさえも詳らかならず、江戸時代前期頃の記録に登場する「三王神社」の名前がわずかにその前身として痕跡を残すに留めるそうです。その後累々代を重ねて繁栄を迎え、現在では青森県はもちろん東北一円から北海道、関東にまで熱心な信者を抱える大社となったわけですが、この人の手で自然の驚異に抗わねば荒涼以外の言葉しか生まれる余地のないこの場所に、何を感じて社を建てるきっかけとなったか、あるいは中世栄えた十三湊の安東氏が海の守りとして崇敬したとも、あるいは更に遡り、蝦夷の時代からの聖地であったとも。この場所に神社がある事への尽きない興味はさておいて、いずれにせよ代々社だけでなく人々の営みを風雪より守るために人為的に植えられたであろう裸の木々に守られた神社の参籠所は、それはもう唯々静かなのです。静かなだけなのです。

 高山稲荷神社参籠所→http://www.tamezon.net/nlink/aomori5.html中段「つがる市」の項。五つくらい前に例の曰く付きの「秀吉のやかた*4」が並ぶのが大変な不本意と云えば不本意なのですが、ともあれ宿泊料現在は1000円程安くなっています。

*1:この日は大変疲れていたのでてくてくでなくとぼとぼが正解

*2:意味深

*3:「宿坊」に「チェックイン」と云う言葉が正しいかよく知りません

*4:「休館中」ともう至れり尽くせりw