港ヨコハマ中華街「ホテルオリエンタル」

 日本の著名な中華街は西から、長崎・神戸・横浜とあるそうです。長崎を旅行した時の軍艦島ツアーに強制的に付いていた市内バスぐるぐる行でガイドさんが「大きさで比べると横浜の半分が神戸で神戸のそのまた半分が長崎なので、関東のお方から見るとても小さいんですのよおほほほ」とか自虐気味の説明が却ってその神奈川のとなりのとなりの県の住民としてはあまり意識しなかった横浜中華街の広さ、そうか、そんなに広いのかとまさに江戸の仇を長崎で討つの意味を地で実感しえた、私にとっての中華街は諺の味がします。件のツアー、全く不可はありません良き哉のおもてなしでしたが、敢えて言わせてもらえれば同じ長崎自虐すんなら国道のクセに一日の4分の1くらいしか車の通ることのできない浜町アーケードの紹介をしてくれた方が私的には感心したのに、その事を知っていればアーケード一本向こう隔てた電車道チンチン電車が3台渋滞してる景色に「国道通行止めで電車渋滞かよ!」とかツッコめたのにと今でも残念でなりません。

 で、その遠く離れた長崎の人が言うのですから本当に広いのでしょう横浜中華街、横浜にあまりなじみのなく尚かつ方向音痴の私はこの場所でよく迷うことそれはもう易々と請け合いです。ある日やはり目標を見失った中華街をあまり悲壮感はなく彷徨っていたのところ見つけたのはそれはそれは見事な旅館でした。

 新東宝作品(石井輝男監督)の『黄線地帯 イエローライン』の一番の見所はなんと言っても神戸にあるという設定の、娼窟の持つ猥雑と混沌に西洋的俗っぽさと東洋的神秘さの色付けしてごちゃ混ぜにした後自然に固まるのを待って出来たような「カスバ」と云う幻の街のセットなのですが、その「カスバ」にあることで全く違和感無く存在しているような「ホテル」が平成の世のここ横浜中華街にただ一つだけ抜け出たように存在してるのですから、初めてこの建物に行き合えばまずは驚きと感嘆、そしてほんの少し恐怖を飲み込み、その直後無尽蔵に沸き上がる好奇心に抗うこと能わず何にも優先して宿泊しようと云う気持ちに陥ること、仕方のないことです。

 そこまで持ち上げておいて仕方のないことなのですが、やはり宿泊という行為には多少の準備が伴われモノでして、一応日帰り圏内にある横浜で行き当たった宿が気に入ったからと云ってそのまま何も考えずに泊まるには少々無理な諸事情がありまして、初めてこちらの「旅館」に行き合ったこの日はまたの機会を心に期して立ち去ることを遺憾としなければなりませんでした。

 そして後日、年一度の横浜用事のあるこの日、いつもは鶴見とかに宿を取るのですがこの日は敢えて中華街の辺りで宿を取ることにしました。まさしくこのためです

 何が勇気がいるかというとこの扉を開けて本日お泊まりの可否を訪ねるコトほど勇気のいることはなく、おそらくここ最近で最も勇気のいる所作であったような、今考えればそう思います。「営業中」の札に偽りなくその旅館の扉は、触れることにひどく勇気のいりそうな印象に反して手を掛けた途端音もなく簡単に開いてお客を中に誘います。
  
 扉を開けるとすぐ真正面に上階へ上がる階段、その奧になんだか色んなモノが満載のフロント、フロントに当然のコトながら人影はありません。それ以前にこんだけやたら色んなモノが満載されたフロントがフロントとしての用を為しているのかさえ怪しい。ただ安心すべきはこちらのフロント、映画でよくある阿片窟とか私娼窟とか逃亡者がとりあえず逃れてくるような場末のモーテルとかの描写であるような「管理人室の窓が直接フロント」になっている閉鎖的な形ではなく、もしもそこに受付のボーイさんとかが立っていれば一般のホテルと同じように対応出来るオープンな形のフロントで、この点は少し安堵する点です。考えてみれば『サイコ』もオープン型(?)のフロントなのですが・・・。

 「すいませ〜ん。ごめんくださ〜い。今晩泊まりたいのですけど〜。」予想はしていましたが、玄関にお客の気配があっても宿の人、気付いてんだか気付いてないんだか、呼んでも出てこない。これもベタな描写の、よくフロントに置いてある「御用の方は鳴らして下さい」のチリンチリン鳴らすベルなんぞありません。あったら指で弾いて鳴らして「ジョースターさん御一行は・・・こちらにお泊まりですかい」「ホル・ホース!」とか言わなければいけないんでしょう、みたいな多彩な「〜ごっこ」が出来そうだとそれはさておき、声出して呼んでも誰も出てくる様子もない。予約でも入れてればチェックイン時間に合わせて宿の人も多少の準備はしてるんでしょうがそんな予約なんざ入れてませんから*1出てこない。私の場合こんな場面多いので特に気にしませんが、とりあえずは困ってしまいました。宿の人このまま出てこないんじゃないかと。
 同じようにしばらく呼んでみましたがやはり出てくる気配なし。仕方がないので出直そうか、そう思ったところで「はい?」の声と共に、フロント目の前の客室から声がするや宿の人と思しきご老人がドア開けて出てくる。一番初めに出てくるのは恐らくお年寄りだろう、そう思っていたので別にホテルマンなんだかオーナーなんだかよくわからないけどお年寄りさんが出てきたこと自体は別段驚きません。驚きませんでしたが疑問に思ったのは何故一番入口側の「管理人室」と云うお部屋からでなくその一つ先の番号の穿たれた客室から出てきたと云うことでともあれご老人、こちらの疑問に気付く様子など無く「一人?一泊4000円」などと続けます。もちろん泊まるつもりで勇気を出したのですからご提示の額に一も二もなく了承。お部屋を案内すると云うコトで鍵を取ってくるからちょっと待ってとご老人、フロントでも管理人室でも今出てきたお部屋でもなく更に廊下の奥の方に一旦消えて鍵持って帰ってくる。

 案内されたお部屋は3階。こちらのお宿の外観、正直何階あるか判りませんので*2想像内に収まった階数にやや安心。ただ安心でないのが、これも予測していたこととは云え急な階段。おじいちゃん上れるの? 一応手摺りはちゃんとついてます、なんか渋いのが。降りる時手摺り伝えながらでないと正直怖かったです。

 3階のお廊下は、窓すぐ目の前まで迫ったお隣ビルの壁で自然の光が入る余地はありません。ちなみに時節柄必須と思い確認した「非常口」の表示はそのお隣さんの壁が迫る窓に矢印が向いていているのが全く理解が出来ず、恐る恐る窓の外を見てみるとこちら側の壁に沿って穿たれた錆び付いた鉄の出っ張りが地上まで続いていました。こんな非常口を使って絵になるのは大友純に復讐するためやってきた殺し屋の天知茂くらいなモンだと、どうか今日だけは首都圏直下の地震が起きないことを新東宝の神(大蔵貢?)に願わずにはいられません。案内されたお部屋は予想に反して予約のないお客様がいつ来ても使用できるようにされていて案外にキチンとしていることに感心しました。お部屋にご案内してくれた老ボーイはお茶を持って来るということでその間チェックインカードを書いてもらうよう言い残して一度階下に降りていきます。

 大分年季の入ったフォント、「船名」の項目が目を引きます

 お部屋の鍵。可愛くて飲み込んでしまいたい・・・。これを差し込む鍵穴はもちろん「覗く」コトが出来ます。
 お部屋はシングル用の洋間。広めのベットに窓際には安っぽいテーブルクロスが掛けられたテーブル、椅子2脚、「クローゼット」と言うより「たんす」と言った方が適切な衣装入れ、ペンキかなんかで塗りつぶされた曇りガラスの窓を開けるとなんとなく中華圏ぽい建物がちょっと雰囲気醸し出してます。

そしてココ重要、室内エアコン有りません。ので窓近くにある扇風機大活躍。廊下のドアには満人服っぽいど派手な衣装の子供が赤い顔して踊ってるような絵のポスター、所々壁に掛けられてるカレンダーは何故か出雲大社とか日本の神社の写真、なんか昭和60年くらい製のテレビの画面はブルブル波打っていて、丁度『さや侍』のおっさんがインタビューに答えてました。なんでしょうねどこでしょうねココは、一体。
 お部屋の調度について上にさらりと述べましたが、当然の如くいずれも古いです。はっきり言いますが、カネ払って泊まるんだから綺麗なお部屋でないと絶対に譲れない、と思っている方は間違ってもこちらに泊まらないで下さい。

 そんなこんなしている内に、お茶来ました。中国茶の入った中国式急須はとても熱くて、同じお盆に載せられた缶の緑茶は冷え冷えで、間を取ってるわけでもないでしょうが何故かヤクルトも付いてきます。お盆を置いたテーブル、これ以上何か置くにはちょっと手狭なため、お湯入れたポットは堂々と床に置きます。お支払いは先払い。ところがちょうど切りの良い額の持ち合わせのなかった私はちょうど切りの良くない額に対応するための持ち合わせの持ってないお宿の、そのちょうど切りの良くするため待ち合わせを持っている、そろそろ帰って来るという宿の人言うところの「うちの人」の帰りを待つ羽目になってしまいました。
 こーいう宿でこーいう所在なげな時間を得たなら、帽子上着は掛けておいてネクタイは緩めて、窓の外に油断なく注意を向けながら椅子に身を委ねて身を沈めているのが作法なのだと思います、たとえ蒸し暑くて死にそうな雨期の最中であっても。ところが当方別になんかの妄想に苛まれているわけでもありませんので残念ながらふつーにTシャツジーンズです。更に言えば何かに追われて身を隠しているワケでもありませんので好奇心に任せてふつーに部屋外に出てウロウロもしてみます*3。部屋を出て廊下は相変わらず薄暗い。その廊下になんか等間隔に棚? が置いてありましてその上に当たり前のようになんだか調度品だか実用品だかが満載されております。団扇が多く差してるのは便利そうなのと、お約束なお人形さん、その中になぜか大量のリスモくん人形が置いてあるのが大変気になります。リスモくん目がないから暗い所で見るとメクラウナギにしか見えねぇんだよな。そしてやはり数体見かけたジャイビット人形。これも薄暗い場所に置かれているので*4ここが横浜だからジャイアンツファンはこのように邪教的に密かにジャイビット人形を飾らなければいけないのかとあらぬ誤解を受けかねない。そして時々、階下になんか人の気配、ほかにお客さんがいるのでしょうか? 気のせいかもしれません。もしも他にいらっしゃるお泊まりのお客様はやはりマドロス帽を被ったくろんぼの船乗りとか寄席の中国手品師みたいな格好してお付きにスーツケースを持たせたやたら語尾に「〜アル」と付けるニセ華僑の方が違和感無く、現れたら現れたできっと大変落ち着いていたでしょうが、残念ながら他の泊まり客の姿を見かけることはありませんでした、ごく普通のホテルですから。

 冷房無いのでドア開けっ放しにしてると誰かが階段を上ってくるのがすぐわかります。軽い足取りから先程案内していただいたご老人でないことは明らかですがさて誰でしょうか? 部屋に入ってきたのは宿のおかみさんらしき女性の方。先程のご老人が仰っていた「うちの人」とはこの人のことなのでしょう。宿賃のおつりを持ってきた「ウチの人」は遅くなったことを謝り同時に先程ご老人もくれたメーカー不詳の缶緑茶をくれました。よく冷えて汗かいているのがポイントでしょうか。そしてこの「うちの人」、私の持ってるカメラを見るなり「中は撮らないでね」と一言。なんでも、最近客でもないのに室内に入り込んで写真を撮っていく輩が多いとのこと。そんな奴らは片っ端から香港に叩き売ればいいのに・・・。ともあれ了承しました、これ以上室内の写真は撮りません。

 「何故中華街周辺に宿を取ったのに対岸の鶴見川崎方面へ向かったか」と云うシビアな問題は置いておいて、この日は鶴見線内を最終までウロウロしていたため宿周辺に戻ったのは大分遅くなってからで、さしもの横浜中華街も半分くらいシャッター閉めてまして照明の光の届かなくなった暗いところにネコがウロウロ、話しかけると不思議な顔して逃げていくので恐らく台湾語しか通じないものと思われます。

 遅く帰ってくるのがさも当たり前のように、「ホテルオリエンタル」はそのままの姿で立っています、当たり前ですが。当たり前に、壁紙が刮げた鱗のようにガビガビにササクレだった急階段を上ってお部屋へ。宿の人、お風呂を入れておいてくれたみたいでして早速風呂。水回り、あちこちの補修跡がまだまだやる気満々の生々しさが感じられて非常に好ましい。お部屋、基本的に経年から来る隠しようのない綻びが目立ちますがそれでもいつでもお客を迎え入れる気持ちに満ちていまして、それがとてもヨイ。けどカーペットはめくっちゃダメだよ。間違っても、喘息持ちとかの人は特に。

 部屋から窓の外、夜だけに怪しさ心持ち少し増しの好ましさ。寝る。

 梅雨の最中とは言え朝の空気は清々しいモノで、ちょっとだけ開けておいた窓から漏れる冷気が呼ぶのでつい窓を全開、方角によってはかなり中華チックな建物の乱立、寝起き頭で計るとここが何処かわからなく一瞬です。

 こーいう時は狙撃に注意しなければいけないので、慌てて窓を閉めて少し開けた隙間から外の様子を窺います。怪しいヤツが立ってはいないか? 寝起きだからどんな妄想も暴言も沸き放題です。楽しいです。
 本当に怪しいヤツでもいようモノなら裏の非常階段から帰るハメになる、それがコワイので楽しいウチに帰りましょう。カネ払った後は風呂入れてくれる以外宿の人は全くコンタクトを取ろうとしてきませんので後は自由です。言っていきますが自由なのはカネ払った客だからです。その客と言っても何でもして良いわけではありません。客でもないカネも払わず面白そな建物だと云って無断で侵入して写真を撮るとか云う輩など人間としてどうかと思います。そのような方を見かけられたら遠慮無く殺しましょう。死ね。では

*1:大体電話番号どこで調べりゃいいか皆目見当付かん

*2:たぶん3階建てなんだろうと想像できるが、屋上と思しき場所になんかバラックみたいな木造の建て増し屋?があってようわからん

*3:とは言っても何となく憚られるような雰囲気が若干あるので少しコソコソはしています

*4:あくまでも節電の関係によると思われる